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<title>印刷業のためのコンサルタントになる！～「O業態変革塾」（仮称）への道</title> 
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<modified>2009-11-03T23:17:28Z</modified> 
<tagline><![CDATA[<IMG SRC="http://www.brahmsrecords.com/SOOfI.jpg" WIDTH="140" HEIGHT="80" BORDER="0">
<P><B>内部統制の整備なき企業に成長なし！</B>
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<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:tosen4tany</id> 
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<copyright>Copyright (c) 2009, tosen4tany </copyright>
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<title>『MBAが会社を滅ぼす』～ミンツバーグは警告する(4)</title> 
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<modified>2009-11-03T14:17:17Z</modified> 
<issued>2009-11-03T23:17:17+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:tosen4tany.51431537</id> 
<summary type="text/plain">第7章「新しいMBA？」

第6章まで、「これでもか」と言わんばかりにもMBAを軸に置いたビジネススクール批判を繰り広げてきたこの本であるが、この章あたりから幾分風向きが変わってくる。正直なところ、前章まではある程度肯ける部分がありながらも、読んでいて不毛な感が付...</summary> 
<dc:subject>ミンツバーグを読む</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://soofi.livedoor.biz/archives/51431537.html">
<![CDATA[第7章「新しいMBA？」<br>
<br>
第6章まで、「これでもか」と言わんばかりにもMBAを軸に置いたビジネススクール批判を繰り広げてきたこの本であるが、この章あたりから幾分風向きが変わってくる。正直なところ、前章まではある程度肯ける部分がありながらも、読んでいて不毛な感が付きまとうが、妥当な対案を示し、あるべきビジネス教育の姿を模索しようというミンツバーグの思いがあるべき姿で表現されてくるようになってくる。論述のくどさはミンツバーグの特質のようなものらしく、別の本（「戦略計画―創造的破壊の時代 The Rise and Fall of Strategic Planning」）の翻訳でもいまどきにしては珍しく部分的な省略・抄訳が行なわれているというぐらいだが、はっきり言って、6章まではいまの4～5分の1程度の分量で充分な内容だな^^;。<br>
<br>
この第7章では、前章までに挙げられているようなビジネススクールの弱点を受けて、MBA課程を置いたビジネススクール側が行なってきた改革を紹介し、それをまたミンツバーグが批判するというのが前半。このあたりは特に新味がない。インターネットや電子メディアなどのテクノロジーを活用したものと教育における国際化を紹介した部分が若干面白いぐらいか。そういえば、自分の通っていたビジネススクールは、出席講義の振替などをウェブから出来たけれど、意外にローテクだったよなぁ…とか思ったものだった^^;。また、日本のビジネス教育がかなり評価されており、第2次世界大戦後の日本の目覚ましい発展の原因をここに求めている。自分が以前読んで興味深かった「松下電器の経営改革」（有斐閣）を手がけた一橋大学の伊丹敬之教授の名前も見えるが、この人がミンツバーグに宛てた手紙には「一橋大学のMBAプログラムは、それだけでマネージャーを養成できる課程ではないということを学生たちに伝えている」と書かれていたというエピソードが紹介されている。<br>
<br>
後半に入ってくると、イギリスで起こっている「実務と教育を融合させようとする」興味深い試みの紹介に多く筆が割かれている。実際にマネージャーとなっている人物が、実務でぶつかった課題をテーマとしながら学んでいこうとするものだ。このあたりから、ミンツバーグの言いたいことが分かってくるような感がある。要は「実際に使うわけではない知識は要らないし、かえって有害な場合もある」ということだろう。このあたりは、MBAでなくても資格の勉強などでしばしば言われるテーマであり、自分にとっても身近な課題である。個人的には、このあたりの課題は、乱暴に言ってしまうと「教えることは出来ない」と思っている。前回でも書いたように、「本人が学ぶことに何を求めているのか？　ツールに過ぎないのか、価値観を変革することか」という心がけに尽きるのだと思う。もちろん、こう言ってしまっては身もふたもないが^^;。強いて言えば、「志を育てる」教育がまず最初に必要ではないか？というぐらいのことか。<br>
]]> 
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<name>tosen4tany</name> 
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<title>バーニー『企業戦略論』を読む(27)～「垂直統合」(4)</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://soofi.livedoor.biz/archives/51431001.html" />
<modified>2009-11-01T14:44:46Z</modified> 
<issued>2009-11-01T23:44:46+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:tosen4tany.51431001</id> 
<summary type="text/plain">6.4「垂直統合戦略のための組織」

この節は「垂直統合戦略のための組織」と題されているが、実質的には必ずしも垂直統合戦略の場合限定で書かれているわけではないように見受けられる。ともあれ、第5章で言及された企業組織における重要な3要素、「組織構造」「マネジメント...</summary> 
<dc:subject>「企業戦略論」を読む</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://soofi.livedoor.biz/archives/51431001.html">
<![CDATA[6.4「垂直統合戦略のための組織」<br>
<br>
この節は「垂直統合戦略のための組織」と題されているが、実質的には必ずしも垂直統合戦略の場合限定で書かれているわけではないように見受けられる。ともあれ、第5章で言及された企業組織における重要な3要素、「組織構造」「マネジメント・コントロール」「報酬体系」と関連づけて論じられている。<br>
<br>
まず組織構造。ここではU型組織、一般には職能別組織と言われているものが扱われている（「U」とはUnitary＝中央集権型の頭文字を取ったもの）。「CEOに負荷がかかる」「意思決定においても情報収集が不完全になったり各マネージャーの協力も限定されたものになったりしがちである」「セクショナリズムが発生する」といった、この組織形態でよく言われる弱点が言及されている。垂直統合で企業内に統合された機能については必要な協力関係がとられる必要があるといった、ごく普通のことが書かれている。<br>
<br>
ついでマネジメント・コントロール。ここで重要視されているのは予算プロセスと経営会議である。予算プロセスについては、アカウンティング的な指標に基づいて判断しようとするとマネージャーたちが短期的な業績に拘り長期的な視野に欠ける結果となるため、ファイナンス的な経済価値によって判断すべきだとされる。また業績評価に定性的な内容も含めるべきだという。経営会議については、意思決定に関する情報収集や企業活動のモニタリングといった面が重視されているようだ。<br>
<br>
報酬制度。労働市場が完全競争の場合と不完全競争の場合に分けて論じられているが、実質は不完全競争であるとされており、こちらが主たる内容となっている。まず、スキルや能力について。ある従業者に、ある特定の企業でしか価値を持たない能力やスキルを持たせたい場合は、金銭的負担を強いられることとなる。職務ポジションについて。魅力のない仕事に就かせるには高い報酬を必要とする。非金銭的な報酬を備えることによって、すべての報酬を金銭で賄おうとするよりも、結果として低コストで済む場合もある。それは「雇用保証」「昇進」「その企業に属することがステイタスの証明となるような名声」「フリンジ・ベネフィット」といったものである。また、成果型報酬というのもある。しかし、個人的には、このなかに「仕事そのもののやりがい」「自己実現」といった要素が希薄なのに疑問を感じた。これは第1章でミッション・ステータスについて言及しているバーニーであるからこそ、より大きく扱ってほしい要素であるのだが。<br>
<br>
ともあれ、最初の組織構造に関する部分でいくらか言及されているのを除くと、全体的な記述としては垂直統合戦略との関連性はいささか薄いように感じられた^^;。<br>
]]> 
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<name>tosen4tany</name> 
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<title>バーニー『企業戦略論』を読む(26)～「垂直統合」(3)</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://soofi.livedoor.biz/archives/51429004.html" />
<modified>2009-10-25T14:43:02Z</modified> 
<issued>2009-10-25T23:43:02+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:tosen4tany.51429004</id> 
<summary type="text/plain">6.3「垂直統合と持続的競争優位」

この節は、前の節で挙げられたようなそれぞれの統治メカニズムが、どう競争優位に結びついていくのかということについて書かれている。しかし、この節はとかく抽象度が高く、文意を取りづらい箇所が目立つ--;。あるいは翻訳のせいもあるの...</summary> 
<dc:subject>「企業戦略論」を読む</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://soofi.livedoor.biz/archives/51429004.html">
<![CDATA[6.3「垂直統合と持続的競争優位」<br>
<br>
この節は、前の節で挙げられたようなそれぞれの統治メカニズムが、どう競争優位に結びついていくのかということについて書かれている。しかし、この節はとかく抽象度が高く、文意を取りづらい箇所が目立つ--;。あるいは翻訳のせいもあるのか？<br>
<br>
統治メカニズムから競争優位を得るための3つの要素は以下のとおりであるという。<br>
<br>
1)不確実で複雑な経済取引を理解する能力<br>
2)異なる統治形態を知覚し実行する能力<br>
3)機会主義的に行動する傾向<br>
<br>
これらについて、VRIOフレームワークを用いて分析した結果、すべてにYesとなった場合、持続的競争優位の源泉たりえるだろうということだ。<br>
<br>
1)は平たく言えば、「業界分析能力」である。これは従業員の知的能力を高めること、またそれを活かせる体制が整っていることを含む。こういった属性は得てして模倣困難であり、少なくとも一時的には競争優位につながるとされる。<br>
<br>
2)は乱暴にまとめると、「統治能力に優れており、意思決定が早かったり的確に執行出来たりする」といったところか。これらも、企業の歴史的経緯や企業風土に起因したものであれば、容易には模倣できない。<br>
<br>
3)は1)や2)と比べると、やや外的な要因といえる。「機会主義」というのは前にも触れたとおり、「足元を見られる」というか「付け入られる」というような意味を持つ用語だが、こういった性向を持つ相手と取引をするということは、そうでない相手と比べてコストが余計にかかるといえる。<br>
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<name>tosen4tany</name> 
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<title>『MBAが会社を滅ぼす』～ミンツバーグは警告する(3)</title> 
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<modified>2009-10-25T14:01:54Z</modified> 
<issued>2009-10-24T03:34:50+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:tosen4tany.51428443</id> 
<summary type="text/plain">このところ、簿記の勉強と会社の業務を両立させるのに手一杯で、blogまで手が廻らない--;。
ミンツバーグの本は現在第9章を読んでいる途中で、コラム連載が追いついていないという意識があるので、無理をして執筆の時間を作ったが、本日も疲れているせいか、どうも書いていて...</summary> 
<dc:subject>ミンツバーグを読む</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://soofi.livedoor.biz/archives/51428443.html">
<![CDATA[このところ、簿記の勉強と会社の業務を両立させるのに手一杯で、blogまで手が廻らない--;。<br>
ミンツバーグの本は現在第9章を読んでいる途中で、コラム連載が追いついていないという意識があるので、無理をして執筆の時間を作ったが、本日も疲れているせいか、どうも書いていて散漫になっているような気がする^^;。もしかしたら、あとで書き直さなければならない？（後記：とりあえず若干書き足しますた）<br>
<br>
第3～6章「間違った結果」<br>
<br>
第3章から第6章までは、「間違った人間」に「間違った方法」で教育を施した結果、社会にどういう悪影響を及ぼしたか、それを4つの観点から論述している。個人的にはこの部分は一括で扱ってしまっていいような気がした。ヘンリー・ミンツバーグといえば、海外では「ピーター・ドラッカーに比肩する賢人」とまでもてはやされているようだが、そんな「大人（たいじん）」がなにもそんな重箱の隅をつつくような論点まで逐一展開しなくても…などと、読んでいて正直感じたものだ^^;。ここではごくかいつまんでということでいいと思う。<br>
<br>
ミンツバーグの言う、MBA課程のもたらす「間違った結果」とは、おおむね以下の4点。<br>
1)学生の誤ったエリート意識<br>
2)実務を知らない、あるいは実務を軽んじた人間による、実態を乖離したマネジメント活動<br>
3)2)に近いが、意思決定における官僚的性向<br>
4)経済至上主義でCSRに背を向けた、非倫理性<br>
<br>
ご丁寧にも、ミンツバーグはハーバード・ビジネススクールを優秀な成績で卒業しCEOになった19人のその後を追跡調査し、成功したといえるのはせいぜい4、5人程度でしかないのを証明してみせる。また、ヒューレット・パッカードのカーリー・フィオリーナ、アップル・コンピュータのジョン・スカリーなどが槍玉に挙げられている。個人的にはスカリーって結構好きだったんだけどなぁ^^;。また、エンロンがMBA取得者を積極的に採用していたことも例示している。<br>
<br>
この長大なMBA批判論を読んでいて顕著に感じられたのは、「マネジメントをつかさどる者は実務においても優れた資質を持っている必要がある」というこれまでの章でも言及されていた命題（これは「意思決定における判断材料を的確に得るため」という面のほか、「リーダーシップにおいて説得力を増すため」という面もあるように見受けられる）のほかに、「倫理観とかスピリッツといったものはビジネススクールでは教えていない」ということか。だから、与えられるツールは同じであっても、あとでそれをどう活かしていくかは所詮本人の資質任せになっているように思える。<br>
<br>
前者について。自分の通っていたビジネススクールのカリキュラムと中小企業診断士の試験科目を比較して気づくのは、ビジネススクールでは「運営管理」という観点が欠落しているということである。もちろん、このあたりは業種・業態によって求められる知識が異なるとも考え得るし、一概にビジネススクールを責められないとも言える。しかし、その点を看過してビジネススクールで得られる知識を過大評価してしまうのは問題であるし、ビジネススクールとしてもその問題点を意識していなければならないというのは言えるだろう。<br>
<br>
後者について。これは前回にも言及した、ビジネススクールで出会ったクラスメイトの多くを見ても、それなりに分かるような気がする。個人個人としてのことは知る由もないが、講座が終わってからのクラスの、「学び」という本来の趣旨からみる凝集性という点ではお世辞にも高いものとは言えなかった。その理由を推察するに、彼らは単に「仕事で使うツール」を探しに来たに過ぎないのか、それとも人生への認識を変えるような体験を求めに来たのか。その点に尽きるのではないか？などと思ったものだ。自分の感じたところで言うと、大半は前者だったのだろうと思っている。だから、「ツール」さえ得てしまえば目的は果たしてしまったと決めつけてしまう。その結果、付き合いが自然消滅してしまうか、「ただの遊び友達」と化してしまうか、どちらかになってしまっているという傾向が顕著なのだろう。傲慢な言い方を許してもらうなら、ビジネススクールは彼らに本来の趣旨での精神的な変化をもたらすことが出来なかった、ということだ。<br>
<br>
ミンツバーグのマネジメント論には意外と日本の企業風土には受け入れられやすいような要素が目立つし、ミンツバーグ自身、日本の企業のビジネス教育について好意的に扱っている記述が散見される。もっとも、MBAというものの浸透と並行して日本の企業風土も変わってきているという印象がある。例えば「株主価値」への意識などもそうだ。ピーター・ドラッカーは「企業とは何か」のなかで、「企業が社会的組織であるのに対して、株主のほうは一時的・派生的な存在」だとしているが、このくだりを読んでいて、「株主様」という言葉に象徴されるような近年の風潮とは整合しない？という不自然な印象を受けたものだ。この「MBAが会社を滅ぼす」を併せて読めば、MBA課程が「ツール」重視になっていて、ドラッカー的な意味ではむしろ逆行になっているのだというミンツバーグの主張が分かるような気がする。例えて言うなら、ミンツバーグの論理は、松下幸之助が「経営の神様」として尊重されるような「古き良き」日本の企業風土への回帰を趣旨としているようなところがあると思う。<br>
]]> 
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<author>
<name>tosen4tany</name> 
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<title>バーニー『企業戦略論』を読む(25)～「垂直統合」(2)</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://soofi.livedoor.biz/archives/51425164.html" />
<modified>2009-10-12T13:03:21Z</modified> 
<issued>2009-10-12T22:03:21+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:tosen4tany.51425164</id> 
<summary type="text/plain">6.2「垂直統合の経済価値」

この節は「経済価値」という言葉を含んでいるが、基本的には「垂直統合をするかしないか」の判断基準について書かれている。

ある経営資源を調達する場合、取引の必要が生じる。外部から調達する場合を市場による統治といい、内部から調達する場...</summary> 
<dc:subject>「企業戦略論」を読む</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://soofi.livedoor.biz/archives/51425164.html">
<![CDATA[<u>6.2「垂直統合の経済価値」</u><br>
<br>
この節は「経済価値」という言葉を含んでいるが、基本的には「垂直統合をするかしないか」の判断基準について書かれている。<br>
<br>
ある経営資源を調達する場合、取引の必要が生じる。外部から調達する場合を市場による統治といい、内部から調達する場合を階層組織による統治という。この階層的統治を垂直統合という。この両者の中間に属する場合はそのまま中間的統治だ。<br>
<br>
取引費用経済学によると、これらの統治メカニズムの目的は「機会主義の脅威とコストの双方をともに最小化する」ところにあるとされる。「機会主義」とは、平たく言えば「足元を見られる」ことである。企業内部から経営資源を調達する場合、不利な条件を押しつけられることなく随意に得ることが可能であろうが、一方でその管理するコストを賄わなければならない。外部からの取引による調達ではそのコストは不要だが、一方で調達に対するコントロールが思いのままにならないリスクがある。そういうことであろう。<br>
<br>
垂直統合によらない場合の統治メカニズムは、次の4つ。<br>
<br>
1)スポット市場契約<br>
2)完備契約<br>
3)逐次契約<br>
4)関係性に基づく契約<br>
<br>
1)は、不利な条件を押し付けられそうになった場合はすぐ他の業者にスイッチできるといったような、完全競争が成り立っている場合でしか成立しない。2)は契約によって機会主義を回避できるよう条件を整備しようとするものだが、想定外の事態が起こるというリスクは常に存在する。3)は期間を限定した契約によって2)における契約のリスクを軽減しようとするものだが、その契約更新の際、どちらかに有利不利が生じる可能性がある。4)は人間関係に基づく信頼性によって契約の弱点を補おうとするものだ。<br>
<br>
垂直統合による場合の統治メカニズムは、次の3つ。<br>
<br>
1)内部市場<br>
2)官僚制<br>
3)クラン<br>
<br>
1)はもっとも緩やかなメカニズムであり、多角化した事業部間での取引のようなもの。2)は、取引を規則という形で明確に定めて運用しようとするもの。3)は、共有された価値観なり人間関係に頼る形で運用しようとするものである。<br>
<br>
垂直統合をするべきか、せざるべきか。取引費用経済学における考え方についてはすでに言及したが、そのほかに、リソース・ベースト・ビューにおける考え方とリアルオプションにおける考え方が挙げられている。<br>
<br>
リソース・ベースト・ビューにおいては、「持続的競争優位を持つプロセスについては垂直統合せよ」という点では取引費用経済学と一致するが、「調達する経営資源の源泉が自社とは異なる企業文化に基づいている場合、垂直統合を実施してしまうとその意義が失われてしまうため、あえて外部調達を選択する場合もある」という見方をする点が取引費用経済学とは異なるという。<br>
<br>
また、柔軟性とコントロールのしやすさを二つながら実現する試みとして、リアルオプションという概念も紹介している。これはストックオプションのような考え方を技術や設備などに導入したものだという。意思決定の柔軟性を確保し、不確実性をカバーするためには垂直統合によらない選択の方が好まれるとされる。<br>
<br>
これらの判断基準は両立できない部分を抱えているため、「垂直統合の意思決定について、統合された実践的理論は存在しない」というのが結論となっている。置かれている環境によって、選択される理論は異なっているとされている。<br>
]]> 
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<name>tosen4tany</name> 
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<title>バーニー『企業戦略論』を読む(24)～「垂直統合」(1)</title> 
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<modified>2009-10-04T14:24:41Z</modified> 
<issued>2009-10-04T23:24:41+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:tosen4tany.51422770</id> 
<summary type="text/plain">第2部　事業戦略編

ようやくバーニー「企業戦略論」講読も上巻が終わり、中巻に入ることとなった。

これまででも、SWOT分析、ファイブフォース分析、バリューチェーンといった経営戦略においてはおなじみの分析ツールからリソース・ベースト・ビューにVRIOフレームワークと...</summary> 
<dc:subject>「企業戦略論」を読む</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://soofi.livedoor.biz/archives/51422770.html">
<![CDATA[<b>第2部　事業戦略編</b><br>
<br>
ようやくバーニー「企業戦略論」講読も上巻が終わり、中巻に入ることとなった。<br>
<br>
これまででも、SWOT分析、ファイブフォース分析、バリューチェーンといった経営戦略においてはおなじみの分析ツールからリソース・ベースト・ビューにVRIOフレームワークというバーニーならではの経営資源に関する事項、企業パフォーマンスに関する捉え方など、概論としては充分な内容があったように感ずる。しかし、それでもまだこの本の3分の1でしかない。バーニーはこれについて、第6章の導入部において「『戦略の中身』が、第2部（訳書における中巻）、第3部（訳書における下巻）のテーマである」と述べている。これから講読していこうとする中巻では「事業戦略」が扱われている。バーニーは事業戦略について「企業が『特定の市場もしくは業界』で取ることが出来る具体的な行動」であると書いている。参考までに、この「事業戦略編」の各章の見出しを以下に列挙してみる。<br>
<br>
第6章「垂直統合」<br>
第7章「コスト・リーダーシップ」<br>
第8章「製品差別化」<br>
第9章「柔軟性」<br>
第10章「暗黙的談合」<br>
<br>
垂直統合、コスト・リーダーシップ、製品差別化についてはいまさら解説を要しないだろう。暗黙的談合は、すでに第3章～第4章にかけて扱われた用語である。明示的に談合するわけではないが、「相手の様子を見ながら自分も行動する」といった感じに、消耗戦を避けながら結果的に協調した行動をとる…といった選択である。柔軟性というのは一見分かりづらいが、ザッと見た感じ、意思決定においてオプションを選択するうえの柔軟性を指すようだ。ファイナンス的要素が濃いという印象である。<br>
<br>
<u>6.1「垂直統合の定義」</u><br>
<br>
まず、第6章において、垂直統合が扱われる。この節では、垂直統合がどういうものを指すか、その定義が簡単に書かれている。ごく短い導入部である。<br>
<br>
ここでは、バリューチェーンと関連づけて記述されている。自社としてバリューチェーンのなかのどれだけのステージ（活動）に携わるか、その数が多いほど垂直統合度は高いということだ。また、より製品やサービスを享受する最終顧客に近い方のステージへ垂直統合度を高めることを前方垂直統合、遠い方のステージへ垂直統合度を高めることを後方垂直統合であるとも言っている。それぞれ、川下統合・川上統合とも言われるが、この本では出て来ていないようだ。<br>
<br>
また、垂直統合度は、大まかなところを売上高付加価値率から推察することが出来るとしている。それは以下のような計算式である。<br>
<br>
（付加価値－（純利益＋法人税））÷（売上高－（純利益＋法人税））<br>
<br>
付加価値は以下の計算式とされている。チョット長いが^^;。<br>
<br>
減価償却費＋無形固定資産と繰延資産の償却額＋固定間接費＋支払利息＋人件費および関連費用＋年金および退職金積立費＋法人税＋税引後純利益＋賃貸料<br>
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<name>tosen4tany</name> 
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<title>『MBAが会社を滅ぼす』～ミンツバーグは警告する(2)</title> 
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<modified>2009-09-30T16:36:30Z</modified> 
<issued>2009-10-01T01:36:30+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">第2章「間違った方法」

この章は、まずケースメソッドを始めとしたビジネス教育の歴史から説き起こし、次いでそのビジネス教育がもたらした弊害、次いでケースメソッドの持つ欠点について論じられている。前半のビジネス教育の歴史に関する記述も確かに面白いが、どちらかと...</summary> 
<dc:subject>ミンツバーグを読む</dc:subject>
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<![CDATA[<u>第2章「間違った方法」</u><br>
<br>
この章は、まずケースメソッドを始めとしたビジネス教育の歴史から説き起こし、次いでそのビジネス教育がもたらした弊害、次いでケースメソッドの持つ欠点について論じられている。前半のビジネス教育の歴史に関する記述も確かに面白いが、どちらかというとやや薀蓄に偏ったような印象がある^^;。そのため、この場においては、これまでのビジネス教育の弊害およびケースメソッドの弱点についてを中心に言及していこう。<br>
<br>
第1章において、ビジネス教育においては「マネジメント＝分析」と誤解されていると論じられている。その弊害を推し進めた最大の「戦犯」として挙げられているのが、かのマイケル・ポーターである。ここでピーター・ドラッカーの言葉が、ミンツバーグにとっての重要な論拠として引用されている。ドラッカーは戦略について、ミッション・マーケット・製品・プロセスを一貫した「ビジネスの理論」によって統合したものだと言っているという。だから、ポーターのごとき「分析→戦略立案」という順序は考えられない。また、「戦略」という言葉が矮小化され、マネジメントによって統合されるべきマーケティングや財務、ITといったさまざまな機能がバラバラにされてしまった…ということのようだ。自分は会社で個人情報保護マネジメントシステムに携わっているが、会社では環境マネジメントシステムも存在しており、双方を一貫したコントロールが適格に出来ていないという現状を見ているだけに、言いたいことは分かるような気がする。また、ポーター的な考えにはソフト・スキル（コミュニケーションやリーダーシップの能力）が欠落していると言いたいようだ。このあたりは、やはり自分が講読しているバーニーの「企業戦略論」において、「ポーターに代表される戦略論は内部環境を軽視している」としているのと近い。<br>
<br>
ミンツバーグは必ずしもケースメソッドを完全否定しているわけではない。過大評価されているのが問題なのだとしている。そこで挙げられている弱点のなかには「ケース自体が教えたいテーマを扱いやすくするため先入観を持って書かれる」「教師が講義の運営に都合のよい発言を取り上げたがる」といった運用上の問題もあるし、なかにはいささかうがった見方も含まれているようだが、自分が理解したところによる最大の問題は、ケースメソッドでは所詮上記のような「分析」についてしか取り扱えず、運用についてはほとんど身に付けられるものがないというところだろう。つまり、PDCAサイクルで言えば、ケースメソッドではせいぜいDoに取りかかり始めるところまでしか考えることが出来ない。CheckやActについて多少の想像は出来なくもないが、実際に対処するスキルを身につけるうえではあまりに薄弱だ。マネジメントのサイクルのうえではこちらの方がずっと重要であるのにも拘らず、である。この場面においてはソフト・スキルが求められるという点でも、上記の論理と整合性がある。然るに、ケースメソッドをこなせばマネジメントのスキルは向上すると誤解されている。所詮、机上の空論は机上の空論であり、論理を組み立てることは出来てもソフト・スキルの向上には資するところはないと認識しなければならないということだろう。<br>
<br>
やや論点としてはずれるのかもしれないが、ここでも、自分が通った某ビジネススクールでの経験を思い出させる。このスクールでは120人程度と一緒のクラスでケースメソッドを行なったが、むろん講座のあいだは熱心に取り組んでいるものの、いったん講座が終わってしまったら持続的に課題を求めて取り組んでいこうとするクラスメイトがごくわずかに過ぎないという現象を目の当たりにしたものだ。これはモチベーションの問題ではないのかもしれない。「ケースメソッドさえやれば実践したようなもの」という誤解を植えつけられているため、「すでに勉強した目的は果たした」と思い込んでいるきらいがあるのではないか？　ケースメソッドには幾分「応用編」的なイメージがあるものの、所詮シミュレーションに過ぎない。少なくとも、この限定条件を明確に意識させる必要はあるのではないか。<br>
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<name>tosen4tany</name> 
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<title>バーニー『企業戦略論』を読む(23)～「企業の強みと弱み：リソース・ベースト・ビュー」(4)</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://soofi.livedoor.biz/archives/51420735.html" />
<modified>2009-09-27T14:55:15Z</modified> 
<issued>2009-09-27T23:55:15+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:tosen4tany.51420735</id> 
<summary type="text/plain">このところドラッカーだミンツバーグだ、と何やら手広くなっているが^^;、ふたたびバーニーに戻ろう。しかし、従来の「ほぼバーニー1本槍」ではこのblogの展開として物足りないというのも事実である。他にも腹案があるところであるし、このblogをてこ入れし、より有益なアク...</summary> 
<dc:subject>「企業戦略論」を読む</dc:subject>
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<![CDATA[このところドラッカーだミンツバーグだ、と何やら手広くなっているが^^;、ふたたびバーニーに戻ろう。しかし、従来の「ほぼバーニー1本槍」ではこのblogの展開として物足りないというのも事実である。他にも腹案があるところであるし、このblogをてこ入れし、より有益なアクションに結びつけてゆきたいと考えているところが大である。<br>
<br>
<u>5.5「VRIOフレームワークの限界」</u><br>
<br>
リソース・ベースト・ビューを扱ったこの章の締めくくりは、VRIOフレームワークの持つ弱点について言及されている。その弱点とは以下の3つであるという。<br>
<br>
1)持続的競争優位と環境の激変<br>
2)経営の影響<br>
3)分析の単位<br>
<br>
1)について。持続可能なコンピタンスは絶対不変のものとはいえない。シュンペーター的イノベーションの前には無力となるということである。リソース・ベースト・ビューは業界の競争ルールが比較的安定している環境においては有効であるが、実際にはシュンペーター的イノベーションが数多くの業界において起こっている。ここで思い出されるのは、クリステンセンの提唱した「イノベーションのジレンマ」という言葉であろう。バーニーとクリステンセンとでは幾分「イノベーション」という語の使い方においてニュアンスが異なるようだが（バーニーがここで言っている「イノベーション」とは、クリステンセンの言う「破壊的イノベーション」に近いのだろう）、クリステンセンの言う「持続的イノベーション」はバーニーがここで「持続可能なコンピタンス」と書いているものと近いように感じられる。良くも悪くもこのコンピタンスには慣性の力が強く働くということだろう。<br>
<br>
2)について。すべての経営資源において、持続可能なコンピタンスを見出せないという企業も少なくない。「得られるコストが小さくて済むような経営資源が競争優位を構築できる可能性は低い」という、「模倣可能性のパラドックス」が存在するからというのだ。簡単に見出せるような「強み」は模倣されやすく、模倣しづらい「強み」はそもそも見つけるのが困難だ…ということか。<br>
<br>
3)について。個々の経営資源を分析するので、外部の人間が実施するのは困難である。組織の内部の人間であっても、そういった情報にくまなくアクセスするのは容易ではない。分析の単位が非常に細かいということだ。<br>
<br>
強引に総括するなら、1)は外部環境を適格に予測することの困難さ、2)と3)は組織内部を正確に分析することの難しさ、ということに尽きるのではないか。特に、組織の内部の人間が客観的に自己の属する組織を分析するのは難しい。しかし、それを差し置いても、リソース・ベースト・ビューの発想は、組織のマネジメントの成否が競争優位を構築するうえで重要であるというのが持論である自分にとって、馴染みやすい考え方であるといえる。大原の中小企業診断士2次試験特訓講義からの伝聞になるが^^;、今年の「中小企業白書」では、「講演やセミナーなどを始め、社員に外部との交流を積極的にすすめる企業ほどイノベーションを果たす度合いが高い」というようなことが書かれているらしい。それは外部からの情報摂取に余念がないからというためもあるのだろうが、そうすることによって自社を客観的に分析することが出来るという側面もあるのではなかろうか。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という、孫子の名高い言葉が思い出される。<br>
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<name>tosen4tany</name> 
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<title>『MBAが会社を滅ぼす』～ミンツバーグは警告する(1)</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://soofi.livedoor.biz/archives/51420396.html" />
<modified>2009-10-04T14:21:21Z</modified> 
<issued>2009-09-27T00:25:13+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">ヘンリー・ミンツバーグの名前を知ったのは、やはりいま講読をすすめているバーニー『企業戦略論』の最初の章に出てくる創発戦略の図からだったと思う。だから、しばらく経営戦略論の研究者だと思っていた。むろん、それは間違いというわけではないだろうが、むしろマネジメ...</summary> 
<dc:subject>ミンツバーグを読む</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://soofi.livedoor.biz/archives/51420396.html">
<![CDATA[ヘンリー・ミンツバーグの名前を知ったのは、やはりいま講読をすすめているバーニー『企業戦略論』の最初の章に出てくる創発戦略の図からだったと思う。だから、しばらく経営戦略論の研究者だと思っていた。むろん、それは間違いというわけではないだろうが、むしろマネジメントやリーダーシップの方に比重を置いた人のように思われる。経営戦略と内部環境を関連づけていると見られる点で、いかにも自分の関心を惹く人物だ（笑）。今年の中小企業診断士一次試験の企業経営理論の問題でも出て来たことが、その関心をいっそう掻き立てた。しかも、その問題が分からなかったということが、「ミンツバーグの理論についてもっと知らなければならぬ」という意識を著しく高めたのだったりして^^;。というわけで、ピーター・ドラッカー『企業とは何か』に次いで講読をすすめるべき本として、ミンツバーグの『MBAが会社を滅ぼす MANAGERS NOT MBAs』（日経BP社）を選んでみた。<br>
<br>
『MBAが会社を滅ぼす』。とても刺激的なタイトルだ。しかし、原題を見るかぎり、この邦題はちょっと誇張が入ってないかい？という印象^^;。とは言え、この本の前半（PART1）は露骨に「MBAなんていらない」と題されている。また、今回扱う第1章の内容を見ても、たいへん啓発されるものがある。<br>
<br>
ミンツバーグはマネジメントを、次の3要素がブレンドされたものだとする。<br>
<br>
1)craft（経験）<br>
2)art（直感）<br>
3)science（分析）<br>
<br>
原書を見ていないので判然としないが、これらの語の意味を見るかぎり、直接これらの語にカッコ内の言葉を訳語として宛てているわけではないように感じられる。そして、MBAに代表されるビジネス教育は3)scienceに偏りすぎているのだという。また、一般的なMBA課程は教育すべき対象を間違えており、その卒業者を誤解させ、組織に悪い影響をもたらすのだとする。そして、それぞれについて、詳細に論じていっているようだ。以後、具体的なところを追っていきたい。<br>
<br>
<b>PART 1 MBAなんていらない</b><br>
<br>
<u>第1章「間違った人間」</u><br>
<br>
ミンツバーグは、「マネジメント」と「リーダーシップ」を同義語であると捉えているという。そして、これらは経験に基づかねばならないのだとする。だから、教育できるものではないというのだ。これを例えて、ミンツバーグは「マネジメント経験のない人にマネジメントを教えるのは、ほかの人間に会ったことのない人に心理学を教えるようなもの」だとする。<br>
<br>
然るに、ビジネススクールにおいては、職務経験を重要視していないのが問題であるとする。ハーバード・ビジネススクールでは入学者に求める職務経験を2年、学卒で経験のない者でも一部受け入れることにしたという。ピーター・ドラッカーがハーバード・ビジネススクールで教えるのを断った際、同スクールのケースメソッド万能主義もその理由にあったというエピソードを思い出させる。ちなみに、この章では奇遇にもドラッカーのマネジメント3部作といわれる「現代の経営 The Practice of Management」からの引用が見られる。<br>
<br>
先に挙げたマネジメントの3要素のうち、教えられるのはscienceだけでしかなく、その結果、職務経験に乏しい者は「マネジメント＝分析」であると誤解する。そうミンツバーグは言う。また、マネージャーに求められる技術は業界や組織、さらには同じ組織でも別のポストであればそれぞれにおいて異なり、あるところで成功したメソッドが別のところで成功するとは限らない。だから教師やエンジニア、医者などとは事情が違うのだという。<br>
<br>
自分の理解したところでいえば、組織というのは業界なり職種なり、構成する人員によってさまざまに異なるため、マネージャーとして力を発揮するためには実務経験を積んでその組織の業務に関する知識と、組織を構成する人員に対する理解がまず必要であり、マネジメントにおける適切な解は組織が違えばさまざまである。だから、マネジメントは教えられないのだということだ。<br>
<br>
幾分極論であるという印象もないではないが、1年間「MBA課程」を売り物にした某ビジネススクールに通ってみて、教わった内容と自分のいま携わっている業務との乖離から来る違和感から生じた疑問に、ある意味肯ける部分があるようにも感じた。その点では、確かに啓発されるものがある。今後読み進めていくのが楽しみだ。翻訳も割と読みやすく、内容に沿っているように感じられる。<br>
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<name>tosen4tany</name> 
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<title>『企業とは何か？』～ピーター・ドラッカーの問い・要約版(4)</title> 
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<modified>2009-09-23T15:25:44Z</modified> 
<issued>2009-09-24T00:23:16+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:tosen4tany.51419431</id> 
<summary type="text/plain">第4部　産業社会の存在としての企業

本来ならこの第4部こそ、この本の最終的な結論の部であるが、こんにちのドラッカー観に基づいて読むと、やや尻すぼみな気がしないでもない^^;。企業と社会との関係についてがテーマとなっており、ドラッカーの関心あるテーマの中心がまだ...</summary> 
<dc:subject>ピーター・ドラッカーを読む</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://soofi.livedoor.biz/archives/51419431.html">
<![CDATA[<u>第4部　産業社会の存在としての企業</u><br>
<br>
本来ならこの第4部こそ、この本の最終的な結論の部であるが、こんにちのドラッカー観に基づいて読むと、やや尻すぼみな気がしないでもない^^;。企業と社会との関係についてがテーマとなっており、ドラッカーの関心あるテーマの中心がまだ社会に比重が置かれていることの反映であるようにも受け取れる。<br>
<br>
企業とは社会のための道具であり、社会のための組織である。まずそう定義される。企業とは以下のようなものであるという。<br>
<br>
1)法的には、国が社会のために存在の許可と権利を与えた存在。<br>
2)政治的には、社会の要求を満たすべき組織の1つ。<br>
3)経済的には、生産のための諸資源の集合体。<br>
<br>
企業の利害と社会の利害は一致する。人材を発掘し、育成することは社会の利益である。経営の失敗による企業の業績の悪化や倒産は、経済の安定を損なう。企業は存続せねばならない。そして、企業の生産要素において、人間組織のみが代替の効かないものである。<br>
<br>
企業と社会の関係を見るうえで、3つの必要な視点。<br>
<br>
1)政策を左右するほどの企業が存在することは、社会にとってよいことか悪いことか？<br>
2)生産をするうえで、利益を得ることと財・サービスが充分な効用を果たすことの両者が相容れないということが生じるのか？<br>
3)自由企業体制のなかで利潤を追求していくことと、雇用を安定・拡大させていくことの関係をどう捉えるか？<br>
<br>
第4部の3章は、この1)～3)について1つづつを主たるテーマとして扱っている。<br>
<br>
第10章「企業の存続と社会の利益」<br>
<br>
まず、この章においては、上記のような導入部につづけて、1)について独占と規模を取り扱っている。<br>
<br>
まず独占について。これまで企業の存続には独占が最も有効と考えられてきたが、独占とは社会の犠牲のもとに自らの利益を図る行為であり、否定されるべきである。また、「独占＝利益」という図式は「需要が無限に近いのに対し、供給が限られている」という18世紀の現実を前提に考えられたものだ。しかし、こんにちにおいては、「需要には限りがあり、供給が過多である」。よって、利益を最大化するには、最小のコストで最大の生産をせねばならない。独占とは不経済な行為だ。市場という尺度がなければ効率をはかることは出来ない。<br>
<br>
次いで規模について。規模が大きいことには弊害がある。しかし効率的である場合もある。また、規模が大きければ社会の安定に寄与するということもある。そして、経営陣が長期的な視野に立ち、社会との関係を考慮に入れるという面でも有利である。組織とマネジメントによって、規模が大きいことによる弊害を乗り越えることは可能だ。分権制と教育訓練。この両者が必要である。<br>
<br>
第11章「生産活動の目的」<br>
<br>
企業と社会との関係について、必要な3つの視点の2)。利益をどう位置づけるか。<br>
<br>
単に財・サービスのため生産をするという考え方では、社会の要求と企業の要求は対立をせざるを得ない。経済活動とは、未来に対する賭けであり、リスクを伴う。ドラッカーは、利益をそのリスクに対する保険料であると捉える。また、生産を拡大し、雇用を安定させ、社会の健全性を保つためには利益を必要とするとも言う。<br>
<br>
「利益が経済活動を評価する唯一の尺度である」と書くと、「儲からないとしても有意義な社会活動はあるはずだ」という反論が出るのは必至である。もちろん、ドラッカーはそれを否定しない。というよりも、そういった活動に費やすコストを賄うために、利益を得る活動を積極的に肯定すべきだと考える。だから、ここで言う「利益」とは、必ずしも一企業だけが儲かればいいというような狭義で言われるものではないのだろう。たびたびになるが、松下幸之助のこの言葉を思い出させる。<br>
<br>
<i>「企業は本業を通じて社会貢献をする。利益とは社会に貢献したことの証しである。多くの利益を与えられたということは、その利益を使ってさらなる社会貢献をせよとの世の声だ」</i><br>
<br>
人間が建設的になりうるのは創造の本能によるが、創造の本能だけでは社会は成立しない。個々の人間の欲求と自己実現を社会の目的と結びつけるのが、組織の原理の果たすべきところである。「利潤を得る」という動機が、その手段として用いられるのは、ベストではないとしても有効である。逆に、利潤を求めない者は、しばしば人への支配力という有害な野心に向かう。ロベスピエール然り、ヒトラー然り。利潤は野心を社会的に建設的な方向へ向けさせる、唯一の方法である。<br>
<br>
また、社会には多用な貢献を評価する尺度が必要であり、価格がその基盤になるとも捉える。価格なり利益といったものを絶対視するのは問題だが、社会をまとめ財を配分するという役割を果たすうえで、戦争よりもずっと建設的だ。<br>
<br>
ここで計画経済に言及されるところが、時代背景を感じさせて面白い（笑）。価格なり利益を基盤とした市場では政治的な決定が出来ない。よって計画経済という形で両者を束ねるべきだ…という考え方を批判する。市場というものは無数の消費者の意思決定の集合体であり、それぞれの1人1人の行動がもたらすリスクは少ない。しかし、計画経済は少数の意思決定者によって運営されるものであり、リスクが大きい。計画経済は市場ではなく民主主義への攻撃だとする。市場がもたらす評価をもとに社会政策を決定するという形態が、より望ましい。 <br>
<br>
第12章「完全雇用の可能性」<br>
<br>
企業と社会との関係について、必要な3つの視点の3)。雇用について。<br>
<br>
ドラッカーは、自由企業体制において完全雇用を実現することを最高の善と見る。長期の失業は社会を破壊するとまで言う。これは世界恐慌及び第二次世界大戦を経験したことに起因するらしい。ここにもこの本の時代性を感じさせる。<br>
<br>
ドラッカーは、不況の原因は捉えられないとしても、不況を治療する方法については多くの方法が分かっているとする。それは生産をすることである。ただし、それは消費財ではなく、資本財を生産することである。<br>
<br>
いかに資本財の生産を確保するか。公共事業は候補たりえる。しかし、軍需産業に傾く危険があるし、投資を政府の手に握られることは、政府の健全性を損ねる。企業が完全雇用に取り組むに当たって、公共事業から学べることは2つ。資本財を生産することのほかに、経済活動の時間単位を1年ではなく7～15年という、景気の循環に即したものとするべきであるということである。法人税制もそれに即して改革すべきだというが、それは現実的かどうか？　いちおう、「毎年暫定的にある程度の金額を納税し、時間単位の最終時期に清算する」という方法を提案してはいるが。<br>
<br>
1年単位の納税では、不景気の年に設備投資が出来ない。創業間もない企業に普通の企業同様の負担を課すこととなり、ベンチャー企業の保護にも適していないとする。減価償却費のみではこの欠点を補えないという。同時に、雇用確保のための内部留保は非課税にするべきだという提言もしている。仕事の替わりに金を与えているだけの失業保険、賃金構造を硬直化させる労働組合の賃金要求などの効果を疑っている。ベンチャー企業の育成を図り、経済の成長を可能にすることこそ、完全雇用政策を実現し、人的資源を豊かにする道だとする。<br>
<br>
自由企業社会が柱とするべき経済政策は5つ。<br>
<br>
1)雇用を安定させる。<br>
2)集団による政治的行動が必要とされる分野を明確にする（ドラッカーはその例として「国防と治安維持」を挙げている）。<br>
3)社会の安定と秩序のため、市場に制約をかける分野を定める（この例としては農業）<br>
4)独占を禁止する。ただし、独占と規模の大きさを混同しないこと。<br>
5)人と社会的資本を保全する。具体的にはベンチャーの支援。<br>
<br>
経済活動は、経済の安定ではなく、経済の発展を目的とせねばならない。まだ未読の本についてとやかく言うのは避けねばならないが、このくだりを読むとき、頭に浮かぶのは同じオーストリア出身であるシュンペーターの代表的著作の「経済発展の理論」というタイトルである。両者を関連づける知見は寡聞にして知らないが、伝聞によるシュンペーターの思想には、確かにドラッカーとの親近性を感じないでもない。今後追究したいテーマだ。<br>
<br>
前の章で言及されているが、市場と戦争は対極にあるとされる。自由企業体制と近代企業を基盤とする産業社会を実現し、生産資源を軍需産業に傾斜させないようにすることは、世界の平和と安定にも貢献する。完全雇用に関する章は、このような大胆な発展を得て結ばれている。<br>
<br>
―――――――――――――<br>
<br>
現行の版の「企業とは何か」ではこのあと「エピローグ」が付されているが、1983年刊の第6版にて書き下ろされたものであり、本論の補足というよりは、この本の後日談にあたる内容である。だから、内容的には幾分軽い要素も含むが、興味深い面もある。<br>
<br>
本篇を見るかぎり、この本はGMに対する批判的な要素はさほど見られない。また、読者も同様に受け取ったようだ。だが、スローン会長を始めGM内部の人間の多くはこの本をGM批判の書と捉え、「左翼的な敵意を感じる」などとコメントもされている。労働組合への冷淡な評価にも拘らず、である。<br>
<br>
その理由として、ドラッカーは次のように検証している。<br>
<br>
1)GMが自然の法則であるかのように捉えていた経営政策を、ドラッカーが「環境の変化によって見直すべきもの」と捉えていたから。<br>
2)ドラッカーの唱えている、従業員の主体性を重要視すべきであるという点が、経営陣のマネジメントする権利への干渉と考えられたから。<br>
3)CSRに関わる責任の議論がGMの機能を超えたものだと受け取られたから。<br>
<br>
この3点の指摘は、いずれも意味深い問題を含むものだと言えそうだ。<br>
<br>
自分にとって、この「企業とは何か」という本は、「働くということについての意味づけで大きな力づけを得た」「いままで焦点の定まらなかったドラッカーという人の人物像のミッシングリンクを埋めるものとなった」という点で、特に収穫が大きかった。この読書メモをSNSの日記に連載するという試みは第三者の関心を惹いたとは言いがたかったようだが、個人的には得るものが多く、今後自分が学んでいく方向性を見出せたように感じている。<br>
<br>
そのため、舞台をblogに変更して、同様の試みをしていくつもりでいる。続篇としては、この本を通じて気にかかるようになったシュンペーターの「経済発展の理論」の方にも捨てがたさをおぼえるが、ミンツバーグの問題の書「MBAが会社を滅ぼす Managers Not MBAs」(2004)を取り扱いながら、ビジネス教育について考えていきたい。]]> 
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<author>
<name>tosen4tany</name> 
</author>
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<title>『企業とは何か？』～ピーター・ドラッカーの問い・要約版(3)</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://soofi.livedoor.biz/archives/51419103.html" />
<modified>2009-09-22T14:38:58Z</modified> 
<issued>2009-09-22T23:38:58+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:tosen4tany.51419103</id> 
<summary type="text/plain">第3部　社会の代表的組織としての企業

私見では、この第3部こそ、この本の核心であると思う。ただし、特に第7章の始めの方で格段に抽象度が高まり、かなり趣旨が取りづらい。ましてや、すでに言及しているように、この本は翻訳に問題がありそう？なので、なおさらである。し...</summary> 
<dc:subject>ピーター・ドラッカーを読む</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://soofi.livedoor.biz/archives/51419103.html">
<![CDATA[<u>第3部　社会の代表的組織としての企業</u><br>
<br>
私見では、この第3部こそ、この本の核心であると思う。ただし、特に第7章の始めの方で格段に抽象度が高まり、かなり趣旨が取りづらい。ましてや、すでに言及しているように、この本は翻訳に問題がありそう？なので、なおさらである。しかし、ドラッカーの論が核心に近づくほど、受ける感銘も深まる。<br>
<br>
第7章「個の尊厳と機会の平等」<br>
<br>
社会的組織は社会を超えた目的のための手段である。それがアメリカの伝統だ。そうドラッカーは述べている。企業と社会の関係においては、機能上の調和のみならず、目的上の調和が求められる。産業社会が機能していくには、企業を強化していく術が社会の約束と信条の実現に結びつかなければならない。たとえ完全な実現が望めなくとも、その可能性を見失わないこと。<br>
<br>
この当時、「フォーチュン」誌が行なったアンケートによれば、アメリカ人は9割が「自分は中流階級だ」と思っていたようである。なんだかひと昔前の日本みたいだな^^;。意外。これは言葉を換えて言えば、階級がない社会であるとも言える。しかしこの社会は、機会の平等と個の尊厳をふたつながら実現しえるのか。両者はともに必要でありながら、並存が不可能に感じられるほど、対立的な概念に見える。<br>
<br>
企業たるものが社会の代表的組織として機能するためには、この両者をともに実現しなくてはならない。このあたりは、ドラッカーの言葉を直接引用したい。<br>
<br>
<i>「一人ひとりの人間に位置づけと役割が必要であるということは、産業社会にあっては、人は社会における位置づけと自己実現の喜びを、企業の一員すなわち従業員として得るより他にないことを意味する。すなわち個としての人間の尊厳は、仕事を通じてのみ得られる。文化、レクリエーション、余暇活動によって、自己実現の機会を与えようとする試みの数々が失敗する原因がここにある。一人ひとりの人間が市民たりうるのは、生産活動に参加することによってである」</i><br>
<br>
このくだりこそ、まさに近年自分が実感していることそのままである。ドラッカーはインタビューで「暇な時はどのように過ごしますか？」と聞かれて、「暇とはどのような時を言うのだ？」と答えたというエピソードがあるが、その面目躍如といえる。<br>
<br>
機会の平等は必然的に結果の不平等を招くが、上下関係の階層は必要なものであるし、またいずれの階層に存在する人員すべてが等しく必要とされる。その意では平等だ。<br>
<br>
機会の平等を阻むものは3つある。<br>
<br>
1)昇進のシステムが恣意的である。<br>
2)学歴が偏重される。<br>
3)能力が正当に評価される場がない（＝与えられる仕事の幅が狭いということ）。<br>
<br>
人々が、こんにちの社会を意味あるものとして認められるようにするには、彼らに社会的・心理的な満足を与えなければならない。それは経済的な報奨とは違うことであるが、市場社会ではそうなってしまう。また、昇進以外に自己実現の機会がないというのも、問題かもしれない。<br>
<br>
ほかにも自己実現を阻むものはある。中小企業診断士試験の企業経営理論の科目でもおなじみの、ホーソン実験についても言及されている。ここでは働く者の満足度を損ねるのは、仕事の内容そのものよりもその重要さへの意識が欠落している場合であるとされる。また、働く者と仕事との関係を望ましいものに近づける試みとして、企業が家族的になること・労働組合が作られたことも挙げられるが、ともに仕事によって人間の尊厳を実現しようとする本来の趣旨からは外れたものとなっている。このあたりの記述も、人によっては異論もあるだろうが、いまもって正鵠を得た指摘だと言える。<br>
 <br>
第8章「産業社会の中流階級」<br>
<br>
アメリカの産業社会には、職長という中流階級があったという。「労働側の最高位にして、経営側の入り口」というその位置づけは、さしずめ日本における中間管理職か？<br>
<br>
この職長において、機会の平等は実現できるのか？　ここでふたたび、GMの事例紹介に戻る。GMでの取り組みは以下のようなものである。<br>
<br>
1)計画と実績の比較によって、リーダーとしての能力・技能者としての能力を評価する。<br>
2)経営管理者に昇進させる教育・訓練のプログラムを持ち、テストを行なう。<br>
3)管理職会議に出席させ、経営政策の共有を進めるとともに、有能な職長が頭角を現す機会を与える。<br>
<br>
その他、当時検討されていたもののなかには、専門外の経験を積ませる、ワンランク上の業務を任せてみる、などというものもあった。<br>
<br>
企業の規模が拡大し、階層が深まるにつれて、職長のような中流階級のあり方は難しくなった。マネジメントの面での役割を奪われていったためである。加えて、同じGM内においても、事業部間で職長の置かれている地位は不統一になっていた。分権制が進んでいるほど、職長は中流階級としての位置づけを確保しやすい。職長は経営側と工員の双方の性格を併せ持ち、階級間で闘争がされている場合、板挟みとなって自立性や尊厳も損なわれやすい。一般の工員の問題が解決されれば職長のあり方の問題も解消されやすいであろう。<br>
<br>
あとの章に労使問題を扱っている部分があるので、その前振りとしてこの章が存在するのだろうが、これまでの章のつづきとしてはいささか唐突の感がぬぐえない。ページ数もかなり少ない。<br>
<br>
第9章「働く者の位置づけと役割」<br>
<br>
ある程度想像はつくことだという気はするが、労働組合という存在について、ドラッカーの視点はどちらかというと冷淡だという印象を受ける。ここでも、GMの例を中心にした自動車産業を取り扱って書かれている。ドラッカーにとって、仕事の意味を仕事や製品にではなく、賃金にしか求められないということは、尊厳も意義もないことなのだ。<br>
<br>
しかし、これは一般の工員が機会の平等に恵まれていないためでもある。この機会の平等を目指すため、GMの事業部でみられた方策に、次の4つのものがある。<br>
<br>
1)地元の工科系大学と提携した訓練コースを設け、そのコースの履修と出世をリンクさせる。<br>
2)定期的にポストをローテーションさせる仕組みを作り、能力を開発したり、発揮できたりする場を設ける。<br>
3)心理検査や適性検査を用いて、高度の技術や責任を伴う仕事に適した者を選別する。<br>
4)情報提供や、研究・工夫への褒賞によって、仕事への関心を刺激したり、昇進の判断材料を求める。<br>
<br>
いわゆる組み立てラインによる大量生産は、人間を機械の一部のように扱い、スピードなりリズムなりが拘束された単純作業であった。これが第二次世界大戦中の軍需生産において変更された結果、生産性が大いに変わったという。<br>
<br>
その生産性を高めた施策、それは仕事の意味を知るということであった。金のために働くというのではなく、仕事との一体感を高め、製品への理解を深めたことがそのような結果をもたらした。それと仕事に誇りを持つこと。これが人間を成長させる。提案制によって仕事に関心を持たせるというのも有効であったが、その内容には的外れなものも多く、仕事についての学習の機会を作る必要があるというのも露呈した。要は主体的な行動の機会を与えることである。これが一人ひとりに産業社会における位置づけと役割を持たせることにつながる。<br>
<br>
日本においても同様な傾向はあると思うが、ドラッカーに言わせれば、労使の交渉が賃金に関する問題を中心に展開されているのは大きな誤りである。賃金は生産性、製品の価格、競争状態など経済的な要因で決められるべきであり、争議で決められるべきではない。生産性に基づかない賃上げは価格に波及し市場を縮小させ、結局は働く者に害をなす。<br>
<br>
企業が産業社会においてなすべきこと。それは働く者に仕事の意味を与え、自己実現の場をもたらすこと。それとともに、消費者という役割によっても社会に関与させ、市民としてその繁栄に利害を有する存在としえること。それを実現しえるからこそ、企業は社会の代表的組織なのである。ここではステークホルダーという言葉は使われていない（原書では出てくるのか？）が、その考え方の基礎にもなっているようにも感じられた。また、ここでも松下幸之助の名前を出すこととなるが、ほぼ同時期に松下の展開したPHP（Peace and Happiness through Prosperity＝「繁栄によって平和と幸福を」という意の頭文字をとったもの）活動にも一脈通じるように思う。<br>
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<title>『企業とは何か？』～ピーター・ドラッカーの問い・要約版(2)</title> 
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<modified>2009-09-21T14:11:41Z</modified> 
<issued>2009-09-21T23:09:49+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:tosen4tany.51418822</id> 
<summary type="text/plain">第2部　事業体としての企業

この第2部において特に、GMへの取材の結果が直接的に描かれている。主としてGMの分権制に関する記述と、リーダーシップについてである。

第2章「事業を遂行するための組織」

企業の経済的な機能と社会的な構造を規定するものは、人間組織である...</summary> 
<dc:subject>ピーター・ドラッカーを読む</dc:subject>
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<![CDATA[<u>第2部　事業体としての企業</u><br>
<br>
この第2部において特に、GMへの取材の結果が直接的に描かれている。主としてGMの分権制に関する記述と、リーダーシップについてである。<br>
<br>
第2章「事業を遂行するための組織」<br>
<br>
企業の経済的な機能と社会的な構造を規定するものは、人間組織である。そうドラッカーは喝破する。それまで企業は機械と原材料の寄せ集めであると解釈されていたが、企業の価値はそれらのものが総体として結び付けられたところにある。大量生産においても、本質は設備や技術にあるのではない。人と人の関係、人と工程との関係にある。ドラッカーはこの点を音楽に例える。メロディーを奏でるのはそれぞれの単独の音ではなく、音と音のつながりであり、それぞれの関係である。<br>
<br>
人間組織の存続と成功に関わる3つの要因は、リーダーシップ・経営政策・意思決定と行動の尺度にあるとされる。以下、前回の内容の詳説になっていると見られる。<br>
<br>
3つのうち、特に重要視されているのはリーダーシップである。しかし、求められるのはカリスマ的な指導者ではない。持続的にトップを担うべき人材を育成し、継承していくための制度と基準を要する。生産性を高めるにはスペシャリストを大量に必要とするが、企業では全体を理解することが重要な意味を持つ。専門性に淫することなく、スペシャリストをいかに早くゼネラリストに脱皮させるかが重要な問題だ。<br>
<br>
次いで、経営政策。行動を方向づけること、企業の長期的な利益に合致しているか容易に知りえること。また、経営政策を変化させるべき事象かそうでないかを判断できる手立てを持つこと。組織構造と会計システムに固執しないこと。<br>
<br>
最後に、客観的な評価の尺度。市場での成功は企業全体の活動を評価するものであって、個々の人間や部門などの仕事ぶりを測定できるものではない。もたらされた利益が、どこまでが外的な要因に基づき、どこからが内面的な強みに基づくか、区別することも出来ない。外的な要因を離れた、経営陣の仕事ぶりを客観的に測定できる尺度を要する。 <br>
<br>
第3章「分権制の組織と原理」<br>
<br>
この時期のGMは、おおむね製品別の事業部制組織であった。ただし、本社機能は別に全社で共有するという形態である。<br>
<br>
本社経営陣の役割は、「助手兼ボス」という一見矛盾した言い回しで表現されている。具体的には、<br>
<br>
1)全社および事業部の目標の設定<br>
2)事業部長の権限範囲の設定と事業部長の任命<br>
3)事業部の業績と問題のチェック<br>
4)生産と販売以外の活動<br>
5)本社スタッフ部門による助言と助力<br>
<br>
であるとされる。なお、本社スタッフ部門は、事業部間の連絡役、あるいは情報センターとして情報の共有に尽力するという役割も備えている。<br>
<br>
事業部長の独立性は高い。しかし、それでいてチームの一員としての役割も担っている。これを成立させている要素は2つ。事業部長の仕事ぶりについての客観的な尺度（後述）があることと、GM全社と事業部双方の現況についての情報が把握されていることである。<br>
<br>
情報について。重要なのは、本社経営陣と事業部経営陣との間で、あらゆる意思決定と情報が双方向で流れていること。そのために、本社スタッフ部門が役割を果たすほか、政策委員会と業務委員会とその各部会が構成されている。また、スローン会長が議長を務める全社的なスローン会議が年2回開催される。<br>
<br>
GMの組織に自由と秩序を共存させる仕組みとして、「コストとシェアで業績をはかる」という制度がある。まずコスト分析による組織内部の効率性評価が重んじられ、次いでシェアに基づく競争力と業績の評価がなされる。「景気によって左右される面が強いから」という根拠により販売台数がさほど評価されないというのがポイントである。生産計画はこの両者に基づいて立てられ、これに資本収益率を加えて、経営政策と事業を評価する。いずれも主観を交えない指標であることが、人間関係に不平等なり恣意的な要素を持ち込ませない効果を与えている。<br>
<br>
第4章「分権制をいかに機能させるか」<br>
<br>
これまで、GMの分権制について見てきた。このGMの分権制は、原則や概念を具体的な行動の指針とすることによって、時間をかけて発達したものである。すべてがあらかじめ設計された、硬直したものではない。このことはあらゆる人間組織について言える。教条的に判断することも意思決定のうえではときには必要であるが、具体的な状況のなかで判断され築き上げていく組織の方がより強力で、成果をあげるということが充分ありえる。このあたりの記述は、ボトムアップによる創発戦略の考え方にも影響を与えているのではないか？という気がする。<br>
<br>
GMでは、あらゆる権限が地位ではなく機能に基盤を置き、あらゆる決定が権力でなく客観的な基準に基盤を置いている。そして、コーポレート・ガバナンスを機能させている。並外れた人間の登場を当てにすることなく、継続性が保証されている。<br>
<br>
だが、問題は2つある。1つは、スペシャリストをどうやってリーダーたりえるゼネラリストに育成していくか。もう1つは、経営幹部が世間の感覚に疎くなるのをどう防ぐかである。<br>
<br>
前者については、そもそもリーダーとして育てる人材についてはジョブ・ローテーションを実施していくとか、本社スタッフとして事業全体を目配りできる業務に就かせる、あるいはスペシャリストとして経験を積んだ人間のなかから選んだ候補生にゼネラリストとしてのカリキュラムを課すといったことが考えられる。<br>
<br>
後者については、ユーザーもしくはディーラーについて調査する業務を加えることでユーザーないしディーラーの視点を感じとれるようにする、従業員の住むコミュニティに関与していく、パブリック・リレーションズや労使関係の業務に携わる…などのようなかたちで交流を図ることが試みられている。 <br>
<br>
第5章「社外パートナーとの連携」<br>
<br>
「社外パートナー」とは、ディーラーを指す。ここで扱われているディーラーとは、「新車を売るために中古車の下取りで損をしなければならない、さらにその下取りした中古車を市場価格で売るためさらに損をする」「フランチャイズという形で拘束されながら、GMの側にとっては契約の破棄や更新停止の裁量度が高い」不利な立場に置かれた販売業者である。<br>
<br>
GMのディーラー政策の3つの柱は、フランチャイズ権を一定の限度までは保護すること、ディーラーの経営支援をすること、長期的視点でディーラーとの利害関係を調整すること、である。そのためにディーラー委員会、ディーラー協議会、ディーラー事業部が設置されている。委員会はGM販売部門とディーラーの利害調整機関のようなものである。協議会はディーラーの代表が選出されて意見集約機関のような役割を果たしている。事業部はディーラーに投資を行い、経営支援も行なう。<br>
<br>
これらのディーラー政策はGM本体の分権制の応用であるとも言えるが、対社外との取引関係であるという点で、より広い意味での産業秩序の一般原理の1つを形成しているとも言える。永続する政治構造は、いま流行りの言葉で言えばWin-Winの関係でなくてはならない。大企業と中小企業の関係のあり方を考えるうえでも、GMのディーラー政策には重要な意味がある。これらの活動は、単に一企業の営みというばかりでなく、産業社会に調和をもたらそうとする試みであるのだ。<br>
<br>
第6章「分権制はすべての答えか」<br>
<br>
GMの事例に基づく結論部分は、「分権制はどのレベルまで適用しえるか」ということと「分権制のメリットは何か」ということ、「リーダーをいかに育成するか」という3つの部分によって構成されている。GMにおいては事業部のかなり下のレベルでも分権制がとられているケースが見られた。そしてリーダーとしての能力を磨くうえで効果があった。生産の効率を考えるうえでは、必ずしも分権制にメリットがあるわけではなく、大規模な集権制組織の方が望ましいと考える向きもある。しかし、市場からのチェックを受け、リーダーを発掘し育成を図るうえでは、分権制のほうが優れている。<br>
<br>
規模の大きい事業部は、効率よく低コストで製品を生産できる。よって利益を上げられる。しかし、リーダーを育成し輩出するのは規模の小さい事業部である。ドラッカーはこれをプロ野球の一軍・二軍にたとえた例を引いている。そして、意欲と能力を持つ責任感あるリーダーがいなければ、いかに優秀な組織であってもその強みを発揮できないとする。市場という客観的な試練にさらされているなかで社会との調和を図るには、自発的な意思決定の出来るリーダーを育成できなければならない。<br>
<br>
リーダーの育成を単に一企業の繁栄のためと捉えず、社会的なミッションと関連づける視野の広い考え方は、以前拾い読みした『リーダーになる人に知っておいてほしいこと』に出ている、松下幸之助の「今日の仕事を忘れないことが、いずれ国家への思いにつながる」という発想に近い気がした。あとの方でも、自分にとっては松下との親近性を感じさせる部分が、この本では頻出しているように感じられた。第1章ともども、読みながらドラッカー思想の真髄を感じさせる部分である。 <br>
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<title>『企業とは何か？』～ピーター・ドラッカーの問い・要約版(1)</title> 
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<modified>2009-09-20T14:07:38Z</modified> 
<issued>2009-09-20T22:59:54+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:tosen4tany.51418515</id> 
<summary type="text/plain">緒言

この20日ほど、ピーター・ドラッカーの第3作にして、マネジメントを学問領域として確立したといわれる古典的名著「企業とは何か Concept of the Corporation」(1946)を読みつづけ、大変感銘を受けた。

この本を1日あたりほぼ1章づつ読みながら、「『企業とは何か？』...</summary> 
<dc:subject>ピーター・ドラッカーを読む</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://soofi.livedoor.biz/archives/51418515.html">
<![CDATA[<u>緒言</u><br>
<br>
この20日ほど、ピーター・ドラッカーの第3作にして、マネジメントを学問領域として確立したといわれる古典的名著「企業とは何か Concept of the Corporation」(1946)を読みつづけ、大変感銘を受けた。<br>
<br>
この本を1日あたりほぼ1章づつ読みながら、「『企業とは何か？』～ピーター・ドラッカーの問い」と題した読書メモを、SNSの日記にポストしていくという試みを行なってみた。主としてかつて通っていたビジネススクールのクラスメイトを読者として想定して書いたものだが、あまり関心を惹かなかったようで反響らしい反響もなく、いささか幻滅したものだ^^;。<br>
<br>
読了後、この読書メモを元にして「ビジョナリー　カンパニー」や「ヴァージン流」の感想を書いたときのような単発のコラムをこのblogにエントリしようと考えていたのだが、思ったより重厚長大な内容となり、かつ1回こっきりで完結させるにはこの本の紹介としてあまりにも物足りないという思いを抱くようになったものだ。かといって、SNSのものをそのまま転載するのはいささか蛇足な内容も含んでいるので、1回あたり1部づつ扱って4回シリーズに再編集しようと思う。すると、1日1回ポストとして、ちょうどシルバーウイーク中で完結できる（笑）。<br>
<br>
「企業とは何か」は、ナチズムを扱った「『経済人』の終わり The End of Economic Man」(1939)、 自由と保守を論じているという「産業人の未来 The Future of Industrial Man」(1942)の2作によって政治学、あるいは社会学者として頭角を現し始めたドラッカーが、「産業人の未来」執筆を通じて企業というものに関心を抱き始めたことが、その着想のもととなったという。折りしも、GMをインサイドの立場から取材する機会に恵まれ、その調査の結果から執筆された。<br>
<br>
そういった経緯からすると、当初は必ずしも自身のライフワーク的な領域になるものと想定して書いてはいなかったのではあるまいか？　ドラッカー自身、この本はまだ「前2作ともども社会をテーマとしたもの」と捉えており、マネジメントをテーマとする路線はその後の「現代の経営 The Practice of Management」(1954)によって確立されたとしている。しかし、GM関係者の非難・学界からの酷評にも拘らず、一般のビジネス界では好評を以って受け入れられ、特にフォードとGEは組織改革のバイブルにしたといわれる。また、この本で採り上げられているGM改革案は、こんにち検討されているGMの経営改善案との類似が指摘されている。また、近年その意義を強調されるようになったCSRについて、同様な概念をこの時代にしてすでに大きく取り扱っているというドラッカーの先見の明には驚かされたものだ。<br>
<br>
<u>第1部　産業社会は成立するか</u><br>
<br>
第1章「企業が基盤となる産業社会」<br>
<br>
このあたりは導入部といえる。<br>
<br>
なぜドラッカーは「企業」を研究対象と選んだか？　それは世界の平和が自由企業体制を機能させうるか否かにかかっているからである。そう思うと、最初の2冊とこの本との整合性について、合点がいく。企業は社会の代表的組織であり、人の生き方を規定する社会的組織である。政府機関と労働組合も、企業の出現に対する反応として出現したという。<br>
<br>
社会が社会的、政治的組織に求めるのは、機能である。社会そのものが機能するためには、それが必要だからである。それを念頭に置いて、組織が存続するのには何が必要か、組織の目的は何か、が問われる。<br>
<br>
社会的組織の政治学的分析は3つの側面から行なう必要がある。<br>
<br>
1)目的を持ち、存続を前提とした自立したものと捉える<br>
2)社会的な信条と約束の実現に貢献するものと捉える<br>
3)社会が社会として機能するうえでの整合性を求められるものと捉える<br>
<br>
1)はさらに3つの問題として考えるべきである。経営政策、リーダーシップ、そして両者の客観的な評価の尺度である。<br>
<br>
2)と3)は似ているような気もするが、社会と企業との存在の整合性について、2)は理念や目的の観点から、3)は実利の観点から捉えたもののようだ。<br>
<br>
社会が成り立っていくためには、この3つにおいて調和が保たれていなければならないという。<br>
<br>
この冒頭部を一読しただけでも、これまで自分がドラッカーをいささか誤解していたところがある…と感じたものだ^^;。むろん、ドラッカーを尊敬していたことに変わりはないが、もっぱらマネジメントなり個人のモチベーションの面から捉えていて、企業、ひいては社会との関わりという視野に基づいていたという見方に欠けていたように思った。さらに言うと、目先の業務の進め方を選ぶ…みたいな感じに矮小化されてしまった感なきにしもあらずの、昨今のビジネス教育に比して原点回帰に似た新鮮さを覚えたものだ。いささか翻訳は読みにくい気がしないでもないが。]]> 
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<title>バーニー『企業戦略論』を読む(22)～「企業の強みと弱み：リソース・ベースト・ビュー」(3)</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://soofi.livedoor.biz/archives/51415478.html" />
<modified>2009-09-13T15:00:45Z</modified> 
<issued>2009-09-14T00:00:45+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:tosen4tany.51415478</id> 
<summary type="text/plain">5.3「VRIOフレームワークの適用事例」
5.4「リソース・ベースト・ビューの意義」

前節において、リソース・ベースト・ビュー及びVRIOフレームワークの概要が書かれた。5.3「VRIOフレームワークの適用事例」においては、そのまとめとVRIOフレームワークを実際の戦略分析に用...</summary> 
<dc:subject>「企業戦略論」を読む</dc:subject>
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<![CDATA[<u>5.3「VRIOフレームワークの適用事例」<br>
5.4「リソース・ベースト・ビューの意義」</u><br>
<br>
前節において、リソース・ベースト・ビュー及びVRIOフレームワークの概要が書かれた。5.3「VRIOフレームワークの適用事例」においては、そのまとめとVRIOフレームワークを実際の戦略分析に用いた例が紹介されている。事例としては、デルコンピュータと、ペプシコーラ・コカコーラ・ドクターペッパー三者による競争が扱われている。<br>
<br>
より興味深いのは、「リソース・ベースト・ビューの意義」としてまとめられたバーニーの組織と企業戦略に対する考え方ではないか。<br>
<br>
1)企業における競争優位獲得の責任は全社員にある<br>
仮に組織1人1人の創造している価値が模倣可能であるとしても、それらが組織全体として集約された場合は模倣が困難となり、持続的な競争優位となりえる。このあたり、「それぞれが強みを伸ばす」ことの重要性を説くピーター・ドラッカーの考え方と親近性があるのではないか。<br>
<br>
2)競争優位を獲得するには独自の経営資源を生かすことが重要だ<br>
所詮競合の行動を模倣するだけではせいぜい競争均衡に到るだけである。競争優位を得るためには独自のものを創造し活用することに秀でている必要がある。これは「2番手戦略」とは矛盾しない。第4章「機会の分析」でも書かれているとおり、「2番手戦略」においては、「すばやく模倣できる優れた技術力」「市場に即座に投入できる意思決定の速さ」などが独自の強みであるといえる。<br>
<br>
3)「戦略が実行しやすいか」ではなく「他社に比べて実行しやすいか」を基準とする<br>
単に「容易に実行できる」というだけでは他社に模倣されてしまい、持続的な競争優位とはなりえない。自社のコントロールする経営資源のうち独自性のあるものに着眼し、「他社との相対性」を念頭に置いて選択しなければならない。しかし、企業内部の人間では社内の経営資源を過小評価ないし過大評価してしまうおそれが大きいため、外部から手助けを受ける必要がある。<br>
<br>
4)組織の属性は模倣困難な経営資源だ<br>
「従業員への権限委譲」「組織文化」「チームワーク」の3つを企業パフォーマンスにおいてキーポイントとする研究が数多くなされているが、リソース・ベースト・ビューにおいてはこれらが稀少であったり模倣困難であったりするがゆえに持続的な強みとなりえるのだとみる。<br>
<br>
5)強みとなりえる経営資源を組織より優先せよ<br>
価値があり稀少で模倣困難な経営資源をフルに活用するためには、それを支援するように組織構造、コントロール・システム、報酬制度が構築されていなければならない。よって、両者が相反するようになっている場合、経営資源を優先とし組織を変えなければならない。いったん根づいた組織を変えるのは困難であるが、「組織は戦略に従う」というチャンドラーの有名な言葉がある。PDCAサイクルなど、「学習する組織」たりえることを進められる制度づくりが必要になってくるということだろう。<br>
]]> 
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<name>tosen4tany</name> 
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<title>バーニー『企業戦略論』を読む(21)～「企業の強みと弱み：リソース・ベースト・ビュー」(2)</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://soofi.livedoor.biz/archives/51413315.html" />
<modified>2009-09-06T14:55:18Z</modified> 
<issued>2009-09-06T23:47:21+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:tosen4tany.51413315</id> 
<summary type="text/plain">5.2「組織の強みと弱みの分析」

いよいよリソース・ベースト・ビューの核心に入る。

リソース・ベースト・ビューとは、日本語に直せば「経営資源に基づく企業観」である。前節で触れたように、「パフォーマンス向上の鍵は内部環境にあり」とする考え方である。経営資源は企...</summary> 
<dc:subject>「企業戦略論」を読む</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://soofi.livedoor.biz/archives/51413315.html">
<![CDATA[<u>5.2「組織の強みと弱みの分析」</u><br>
<br>
いよいよリソース・ベースト・ビューの核心に入る。<br>
<br>
リソース・ベースト・ビューとは、日本語に直せば「経営資源に基づく企業観」である。前節で触れたように、「パフォーマンス向上の鍵は内部環境にあり」とする考え方である。経営資源は企業ごとに異質であり、複製が困難であるからこそ、持続的な強みとなりえる可能性がある。<br>
<br>
ここで経営資源と言われるものは4つのカテゴリに分類される。<br>
<br>
人的資本・物的資本・財務資本・組織資本<br>
<br>
いわゆる「ヒト・モノ・カネ・組織」である。これまで「ケイパビリティ」という語をしばしば使ってきているが、この「ケイパビリティ」＝「経営資源」とする向きもある。この経営資源ないしケイパビリティを特定するには、バリューチェーン分析を用いる（バリューチェーン分析についてはあまりにポピュラーであるため、この場では言及しない）。<br>
<br>
バリューチェーン分析の結果、特定された各個の経営資源について、企業にとって強みたりえるのか弱みとなるのかを判別するのが、VRIOフレームワークである。VRIOフレームワークでは、それぞれの経営資源について、下記の4つの問いにYesかどうかを順番に当てはめて、強みか弱みかを判別する。<br>
<br>
1)Value（経済的価値：その経営資源は経済的に価値があるか？）<br>
2)Rarity（希少性：その経営資源を保有している企業がごくわずかであるか？）<br>
3)Inimitability（模倣可能性もしくは模倣困難性：その経営資源は他社が容易に真似できるものか？）<br>
4)Organization（組織：この経営資源を生かせる組織体制が整っているか？）<br>
<br>
結論を先に言うと、判定結果は以下のようになる。<br>
<br>
・Valueの段階でNoなら、「弱み」に該当する<br>
・ValueはYesだがRarityでNoなら、当座の「強み」ではあるが、独自のものとはいえないレベル<br>
・RarityまではYesだがInimitabilityでNoなら、当座の固有の強みにあたるが、将来的に模倣される恐れがある<br>
・ほかがすべてYesであっても、OrganizationでNoなら、その強みを長期的に生かすことは出来ない<br>
・すべてにYesなら、持続可能な強みにあたる<br>
 <br>
Valueの価値は必ずしも持続的とは限らない。顧客の嗜好や業界構造、技術の変化などにより失われる可能性がある。その場合、まったく別の経営資源を獲得するか、新しい活用の仕方を見出すか、選択を迫られることとなる。<br>
<br>
Rarityの価値が単にコスト上の問題にかかっている場合は、不完全に模倣可能な状態であると言われることもある。その結果、模倣されるに到った場合は、Rarityの価値は失われる。模倣される場合とは、まったく同じような手法が採用されることもあるし、別の経営資源を用いて同様な効果を得られる手法をとられるということもある。<br>
<br>
Inimitabilityの価値を成立させるには、以下のような条件を満たし、模倣のためのコストが割に合わないと感じさせるだけのものにならなければならない。<br>
<br>
1)自社にとって有利に働く、独自の歴史的条件がある<br>
2)自社でも強みとなっている要素の因果関係を把握しておらず、解析不可能である<br>
3)自社でコントロール不可能な外部要因と密接に関わっている<br>
4)特許が模倣困難な強みとなる場合もある。ただし、特許は出願に際して仕様を開示せざるを得ないため、模倣を誘発するということもありえる<br>
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Organizationの価値は、経営資源がその戦略的ポテンシャルを発揮できるようになっているか否かで決まる。公式の命令・報告の系統、マネジメント・コントロール・システム、報酬体系などとの整合性が取れていなければならない。<br>
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