ミンツバーグを読む

2009年11月23日 00:42

当初の想定では、「この本を読みながら、並行してコラム執筆を展開していく」つもりだったのだが、簿記の受験勉強やら会社の業務が過多になっているのやらに忙殺されて執筆まで手が廻らず、すでに読み終わってしまいますた^^;。その点では、いささかコラム執筆に向けて、読んだ際感じた刺激が弱くなってしまっているきらいを感じる。加えて、この本そのものが、それなりに興味深かったものの、「企業とは何か」や「ビジョナリー・カンパニー」に比べると感銘が薄かったし、何よりも冗長すぎ-_-;というのがモチベーションを下げているところがある。とは言え、この本を読んでいて、ビジネス教育について思うところをある程度掘り下げられる機会を持てたというのは貴重な体験であったかもしれない。ともあれ、何とか最後の章まで紹介できるよう、励行したい^^;。なお、いまはこういった性質のビジネス書ではなく、中小企業診断士試験対策として、本年で科目合格の有効期限が切れた運営管理&経営情報システムのテキストを読んでいるところ(笑)。

PART2 マネジャーを育てる

第8章「企業のマネジャー教育」

PART1「MBAなんていらない」ではMBA課程を中心としたビジネススクール批判が延々と繰り広げられてきたが、PART2「マネジャーを育てる」ではあるべきマネジャー教育の姿を実現していこうという具体的な模索が中心となる。なかにはミンツバーグその人が携わっているIMPM(国際マネジメント実務修士課程)という課程の宣伝かよ?と思わされる気味なきにしもあらずだが^^;、扱われている内容にはそれなりに興味深いものがある。

まず、この章では企業が行なっているマネジャー育成の試みが紹介されている。ミンツバーグによれば、企業はマネジメント教育についてほとんど関与していないが、マネジャー教育においては主導的な役割を果たしているという(両者の相違は「マネジメント教育=アカデミックな理論」・「マネジャー育成=実務上のニーズ」とされているようだ)。

ミンツバーグは「マネジメントは教えられない」という立場にあり、実践のなかで身に付けていかねばならないとしているが、身に付けていくのを助ける手段として次の4つを挙げている。

1)OJT
2)コース
3)アクション・ラーニング
4)企業内大学

1)では、ジョブ・ローテーションによって有望な人材に経験を積ませること・メンタリングやコーチングによるサポートといったものが挙げられている。日本のOJTも紹介されている。2)では実践に近い形の研修が主として紹介されているようだ。3)は、1)と2)の中間と位置づけられている。ジャック・ウェルチがGEで行なったワークアウトも、同類のものとして扱われている。4)は特定の組織のための内部の研修機関を指している。いずれについてもある程度問題点が指摘されたりはしているが、実務から乖離していないぶん、好意的に紹介されているようだ。

ミンツバーグはこれらの長所を組み合わせた、統合的な取り組みが望ましいとする。言うのはたやすいが、なかなか出来ることではない。ミンツバーグその人が書いているように、「キャリアのそれぞれの段階で使いわける」というのがより現実的な解かもしれない。

この章で興味深い点は、行動の質を高めるため、内面的な省察の能力を高めるべきとしている点か。これまでの章を読みながら感じたように、知識はあくまで「ツール」であって、それをどう生かすのか、その立脚点たるべき「志」が備わっていなければ、学ぶ意義は大きく減じられる。あとで登場するミンツバーグその人が携わっているIMPMにおいても、マインドセットの変革が重んじられているようだ。この点には共感しながらも、前回も書いたように、個人的にはこういったものは教えられないと考えている。しかし、ミンツバーグにとっては、そういった個人個人の資質によってマネージャーの育成如何が左右されるようでは企業にとって望ましくないということのようである。確かに、その考え方は正しい。しかし、少なくともこの章において、その具体的な対案が出ているとは言いがたい。IMPMという課程における実践がその解に最も近いもののはずだが、とりあえずこの本で読んだだけでは、書かれ方が一面的で客観的な試練を経た内容なのか、引っかかるものを感じる。単に疑りぶかいだけなのかもしれないが^^;、このコラムを書くためにもう1度読み直してみることで、再考を加えてみたいものだと思っているところである。


2009年11月03日 23:17

第7章「新しいMBA?」

第6章まで、「これでもか」と言わんばかりにもMBAを軸に置いたビジネススクール批判を繰り広げてきたこの本であるが、この章あたりから幾分風向きが変わってくる。正直なところ、前章まではある程度肯ける部分がありながらも、読んでいて不毛な感が付きまとうが、妥当な対案を示し、あるべきビジネス教育の姿を模索しようというミンツバーグの思いがあるべき姿で表現されてくるようになってくる。論述のくどさはミンツバーグの特質のようなものらしく、別の本(「戦略計画―創造的破壊の時代 The Rise and Fall of Strategic Planning」)の翻訳でもいまどきにしては珍しく部分的な省略・抄訳が行なわれているというぐらいだが、はっきり言って、6章まではいまの4〜5分の1程度の分量で充分な内容だな^^;。

この第7章では、前章までに挙げられているようなビジネススクールの弱点を受けて、MBA課程を置いたビジネススクール側が行なってきた改革を紹介し、それをまたミンツバーグが批判するというのが前半。このあたりは特に新味がない。インターネットや電子メディアなどのテクノロジーを活用したものと教育における国際化を紹介した部分が若干面白いぐらいか。そういえば、自分の通っていたビジネススクールは、出席講義の振替などをウェブから出来たけれど、意外にローテクだったよなぁ…とか思ったものだった^^;。また、日本のビジネス教育がかなり評価されており、第2次世界大戦後の日本の目覚ましい発展の原因をここに求めている。自分が以前読んで興味深かった「松下電器の経営改革」(有斐閣)を手がけた一橋大学の伊丹敬之教授の名前も見えるが、この人がミンツバーグに宛てた手紙には「一橋大学のMBAプログラムは、それだけでマネージャーを養成できる課程ではないということを学生たちに伝えている」と書かれていたというエピソードが紹介されている。

後半に入ってくると、イギリスで起こっている「実務と教育を融合させようとする」興味深い試みの紹介に多く筆が割かれている。実際にマネージャーとなっている人物が、実務でぶつかった課題をテーマとしながら学んでいこうとするものだ。このあたりから、ミンツバーグの言いたいことが分かってくるような感がある。要は「実際に使うわけではない知識は要らないし、かえって有害な場合もある」ということだろう。このあたりは、MBAでなくても資格の勉強などでしばしば言われるテーマであり、自分にとっても身近な課題である。個人的には、このあたりの課題は、乱暴に言ってしまうと「教えることは出来ない」と思っている。前回でも書いたように、「本人が学ぶことに何を求めているのか? ツールに過ぎないのか、価値観を変革することか」という心がけに尽きるのだと思う。もちろん、こう言ってしまっては身もふたもないが^^;。強いて言えば、「志を育てる」教育がまず最初に必要ではないか?というぐらいのことか。


2009年10月24日 03:34

このところ、簿記の勉強と会社の業務を両立させるのに手一杯で、blogまで手が廻らない--;。
ミンツバーグの本は現在第9章を読んでいる途中で、コラム連載が追いついていないという意識があるので、無理をして執筆の時間を作ったが、本日も疲れているせいか、どうも書いていて散漫になっているような気がする^^;。もしかしたら、あとで書き直さなければならない?(後記:とりあえず若干書き足しますた)

第3〜6章「間違った結果」

第3章から第6章までは、「間違った人間」に「間違った方法」で教育を施した結果、社会にどういう悪影響を及ぼしたか、それを4つの観点から論述している。個人的にはこの部分は一括で扱ってしまっていいような気がした。ヘンリー・ミンツバーグといえば、海外では「ピーター・ドラッカーに比肩する賢人」とまでもてはやされているようだが、そんな「大人(たいじん)」がなにもそんな重箱の隅をつつくような論点まで逐一展開しなくても…などと、読んでいて正直感じたものだ^^;。ここではごくかいつまんでということでいいと思う。

ミンツバーグの言う、MBA課程のもたらす「間違った結果」とは、おおむね以下の4点。
1)学生の誤ったエリート意識
2)実務を知らない、あるいは実務を軽んじた人間による、実態を乖離したマネジメント活動
3)2)に近いが、意思決定における官僚的性向
4)経済至上主義でCSRに背を向けた、非倫理性

ご丁寧にも、ミンツバーグはハーバード・ビジネススクールを優秀な成績で卒業しCEOになった19人のその後を追跡調査し、成功したといえるのはせいぜい4、5人程度でしかないのを証明してみせる。また、ヒューレット・パッカードのカーリー・フィオリーナ、アップル・コンピュータのジョン・スカリーなどが槍玉に挙げられている。個人的にはスカリーって結構好きだったんだけどなぁ^^;。また、エンロンがMBA取得者を積極的に採用していたことも例示している。

この長大なMBA批判論を読んでいて顕著に感じられたのは、「マネジメントをつかさどる者は実務においても優れた資質を持っている必要がある」というこれまでの章でも言及されていた命題(これは「意思決定における判断材料を的確に得るため」という面のほか、「リーダーシップにおいて説得力を増すため」という面もあるように見受けられる)のほかに、「倫理観とかスピリッツといったものはビジネススクールでは教えていない」ということか。だから、与えられるツールは同じであっても、あとでそれをどう活かしていくかは所詮本人の資質任せになっているように思える。

前者について。自分の通っていたビジネススクールのカリキュラムと中小企業診断士の試験科目を比較して気づくのは、ビジネススクールでは「運営管理」という観点が欠落しているということである。もちろん、このあたりは業種・業態によって求められる知識が異なるとも考え得るし、一概にビジネススクールを責められないとも言える。しかし、その点を看過してビジネススクールで得られる知識を過大評価してしまうのは問題であるし、ビジネススクールとしてもその問題点を意識していなければならないというのは言えるだろう。

後者について。これは前回にも言及した、ビジネススクールで出会ったクラスメイトの多くを見ても、それなりに分かるような気がする。個人個人としてのことは知る由もないが、講座が終わってからのクラスの、「学び」という本来の趣旨からみる凝集性という点ではお世辞にも高いものとは言えなかった。その理由を推察するに、彼らは単に「仕事で使うツール」を探しに来たに過ぎないのか、それとも人生への認識を変えるような体験を求めに来たのか。その点に尽きるのではないか?などと思ったものだ。自分の感じたところで言うと、大半は前者だったのだろうと思っている。だから、「ツール」さえ得てしまえば目的は果たしてしまったと決めつけてしまう。その結果、付き合いが自然消滅してしまうか、「ただの遊び友達」と化してしまうか、どちらかになってしまっているという傾向が顕著なのだろう。傲慢な言い方を許してもらうなら、ビジネススクールは彼らに本来の趣旨での精神的な変化をもたらすことが出来なかった、ということだ。

ミンツバーグのマネジメント論には意外と日本の企業風土には受け入れられやすいような要素が目立つし、ミンツバーグ自身、日本の企業のビジネス教育について好意的に扱っている記述が散見される。もっとも、MBAというものの浸透と並行して日本の企業風土も変わってきているという印象がある。例えば「株主価値」への意識などもそうだ。ピーター・ドラッカーは「企業とは何か」のなかで、「企業が社会的組織であるのに対して、株主のほうは一時的・派生的な存在」だとしているが、このくだりを読んでいて、「株主様」という言葉に象徴されるような近年の風潮とは整合しない?という不自然な印象を受けたものだ。この「MBAが会社を滅ぼす」を併せて読めば、MBA課程が「ツール」重視になっていて、ドラッカー的な意味ではむしろ逆行になっているのだというミンツバーグの主張が分かるような気がする。例えて言うなら、ミンツバーグの論理は、松下幸之助が「経営の神様」として尊重されるような「古き良き」日本の企業風土への回帰を趣旨としているようなところがあると思う。


2009年10月01日 01:36

第2章「間違った方法」

この章は、まずケースメソッドを始めとしたビジネス教育の歴史から説き起こし、次いでそのビジネス教育がもたらした弊害、次いでケースメソッドの持つ欠点について論じられている。前半のビジネス教育の歴史に関する記述も確かに面白いが、どちらかというとやや薀蓄に偏ったような印象がある^^;。そのため、この場においては、これまでのビジネス教育の弊害およびケースメソッドの弱点についてを中心に言及していこう。

第1章において、ビジネス教育においては「マネジメント=分析」と誤解されていると論じられている。その弊害を推し進めた最大の「戦犯」として挙げられているのが、かのマイケル・ポーターである。ここでピーター・ドラッカーの言葉が、ミンツバーグにとっての重要な論拠として引用されている。ドラッカーは戦略について、ミッション・マーケット・製品・プロセスを一貫した「ビジネスの理論」によって統合したものだと言っているという。だから、ポーターのごとき「分析→戦略立案」という順序は考えられない。また、「戦略」という言葉が矮小化され、マネジメントによって統合されるべきマーケティングや財務、ITといったさまざまな機能がバラバラにされてしまった…ということのようだ。自分は会社で個人情報保護マネジメントシステムに携わっているが、会社では環境マネジメントシステムも存在しており、双方を一貫したコントロールが適格に出来ていないという現状を見ているだけに、言いたいことは分かるような気がする。また、ポーター的な考えにはソフト・スキル(コミュニケーションやリーダーシップの能力)が欠落していると言いたいようだ。このあたりは、やはり自分が講読しているバーニーの「企業戦略論」において、「ポーターに代表される戦略論は内部環境を軽視している」としているのと近い。

ミンツバーグは必ずしもケースメソッドを完全否定しているわけではない。過大評価されているのが問題なのだとしている。そこで挙げられている弱点のなかには「ケース自体が教えたいテーマを扱いやすくするため先入観を持って書かれる」「教師が講義の運営に都合のよい発言を取り上げたがる」といった運用上の問題もあるし、なかにはいささかうがった見方も含まれているようだが、自分が理解したところによる最大の問題は、ケースメソッドでは所詮上記のような「分析」についてしか取り扱えず、運用についてはほとんど身に付けられるものがないというところだろう。つまり、PDCAサイクルで言えば、ケースメソッドではせいぜいDoに取りかかり始めるところまでしか考えることが出来ない。CheckやActについて多少の想像は出来なくもないが、実際に対処するスキルを身につけるうえではあまりに薄弱だ。マネジメントのサイクルのうえではこちらの方がずっと重要であるのにも拘らず、である。この場面においてはソフト・スキルが求められるという点でも、上記の論理と整合性がある。然るに、ケースメソッドをこなせばマネジメントのスキルは向上すると誤解されている。所詮、机上の空論は机上の空論であり、論理を組み立てることは出来てもソフト・スキルの向上には資するところはないと認識しなければならないということだろう。

やや論点としてはずれるのかもしれないが、ここでも、自分が通った某ビジネススクールでの経験を思い出させる。このスクールでは120人程度と一緒のクラスでケースメソッドを行なったが、むろん講座のあいだは熱心に取り組んでいるものの、いったん講座が終わってしまったら持続的に課題を求めて取り組んでいこうとするクラスメイトがごくわずかに過ぎないという現象を目の当たりにしたものだ。これはモチベーションの問題ではないのかもしれない。「ケースメソッドさえやれば実践したようなもの」という誤解を植えつけられているため、「すでに勉強した目的は果たした」と思い込んでいるきらいがあるのではないか? ケースメソッドには幾分「応用編」的なイメージがあるものの、所詮シミュレーションに過ぎない。少なくとも、この限定条件を明確に意識させる必要はあるのではないか。


2009年09月27日 00:25

ヘンリー・ミンツバーグの名前を知ったのは、やはりいま講読をすすめているバーニー『企業戦略論』の最初の章に出てくる創発戦略の図からだったと思う。だから、しばらく経営戦略論の研究者だと思っていた。むろん、それは間違いというわけではないだろうが、むしろマネジメントやリーダーシップの方に比重を置いた人のように思われる。経営戦略と内部環境を関連づけていると見られる点で、いかにも自分の関心を惹く人物だ(笑)。今年の中小企業診断士一次試験の企業経営理論の問題でも出て来たことが、その関心をいっそう掻き立てた。しかも、その問題が分からなかったということが、「ミンツバーグの理論についてもっと知らなければならぬ」という意識を著しく高めたのだったりして^^;。というわけで、ピーター・ドラッカー『企業とは何か』に次いで講読をすすめるべき本として、ミンツバーグの『MBAが会社を滅ぼす MANAGERS NOT MBAs』(日経BP社)を選んでみた。

『MBAが会社を滅ぼす』。とても刺激的なタイトルだ。しかし、原題を見るかぎり、この邦題はちょっと誇張が入ってないかい?という印象^^;。とは言え、この本の前半(PART1)は露骨に「MBAなんていらない」と題されている。また、今回扱う第1章の内容を見ても、たいへん啓発されるものがある。

ミンツバーグはマネジメントを、次の3要素がブレンドされたものだとする。

1)craft(経験)
2)art(直感)
3)science(分析)

原書を見ていないので判然としないが、これらの語の意味を見るかぎり、直接これらの語にカッコ内の言葉を訳語として宛てているわけではないように感じられる。そして、MBAに代表されるビジネス教育は3)scienceに偏りすぎているのだという。また、一般的なMBA課程は教育すべき対象を間違えており、その卒業者を誤解させ、組織に悪い影響をもたらすのだとする。そして、それぞれについて、詳細に論じていっているようだ。以後、具体的なところを追っていきたい。

PART 1 MBAなんていらない

第1章「間違った人間」

ミンツバーグは、「マネジメント」と「リーダーシップ」を同義語であると捉えているという。そして、これらは経験に基づかねばならないのだとする。だから、教育できるものではないというのだ。これを例えて、ミンツバーグは「マネジメント経験のない人にマネジメントを教えるのは、ほかの人間に会ったことのない人に心理学を教えるようなもの」だとする。

然るに、ビジネススクールにおいては、職務経験を重要視していないのが問題であるとする。ハーバード・ビジネススクールでは入学者に求める職務経験を2年、学卒で経験のない者でも一部受け入れることにしたという。ピーター・ドラッカーがハーバード・ビジネススクールで教えるのを断った際、同スクールのケースメソッド万能主義もその理由にあったというエピソードを思い出させる。ちなみに、この章では奇遇にもドラッカーのマネジメント3部作といわれる「現代の経営 The Practice of Management」からの引用が見られる。

先に挙げたマネジメントの3要素のうち、教えられるのはscienceだけでしかなく、その結果、職務経験に乏しい者は「マネジメント=分析」であると誤解する。そうミンツバーグは言う。また、マネージャーに求められる技術は業界や組織、さらには同じ組織でも別のポストであればそれぞれにおいて異なり、あるところで成功したメソッドが別のところで成功するとは限らない。だから教師やエンジニア、医者などとは事情が違うのだという。

自分の理解したところでいえば、組織というのは業界なり職種なり、構成する人員によってさまざまに異なるため、マネージャーとして力を発揮するためには実務経験を積んでその組織の業務に関する知識と、組織を構成する人員に対する理解がまず必要であり、マネジメントにおける適切な解は組織が違えばさまざまである。だから、マネジメントは教えられないのだということだ。

幾分極論であるという印象もないではないが、1年間「MBA課程」を売り物にした某ビジネススクールに通ってみて、教わった内容と自分のいま携わっている業務との乖離から来る違和感から生じた疑問に、ある意味肯ける部分があるようにも感じた。その点では、確かに啓発されるものがある。今後読み進めていくのが楽しみだ。翻訳も割と読みやすく、内容に沿っているように感じられる。


QRコード
QRコード
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: