2007年01月14日 21:42

マネジメントシステムの時代こそ『韓非子』を読め!(2)

第2回「且つ至言は耳に忤いて心に倒す」

則ち愚者には説き難ければなり。
故に君子は言うを難る(憚る)なり。
且つ至言は耳に忤いて(逆らいて)心に倒す。
賢聖に非ざれば能く聴くこと莫し。


「難言・第三」より。

「愚かな者は説得が難しい。だから言うのすらはばかられる。それほど、的を得た言葉は耳に逆らうし心にそぐわない。賢い者でなければ聞き入れる能力もない」

「主君を始めとした、他者を説得することの難しさ」は『韓非子』の中心的なテーマの1つになっていると言っていい。皮肉にも、韓非その人自身、始皇帝を説得し切れなかったことが、李斯の讒言に遭って命を落とす遠因にもなった。この巻では、その理由について、平たく言えば「相手がバカだったらしょうがないのよ」という結論をつけている。短絡的と言ってしまえばそれまでだが、この巻は韓非その人の執筆ではないようだし。

孔子の言葉にも「良薬口に苦し」という有名なものがあるが、忠言を聞き入れて行いを改められるかどうかには、その人の度量が問われる。所詮人間は、自分の理解力を大きく超えた内容についてはその真意を図ることが出来ないのである。だから、マネジメントシステムでも人事評価でも、レベルの高い人なら納得のいくような内容であっても、レベルの低い人は皮相な見方しか出来ない。「所詮認証目当てでしょ」とか、「えこひいきだ」とか、とにかく揚げ足取りのような結論に飛びついて、自分を反省するところがない。そして悲劇の主人公であるかのように振舞って、いっそう頑なになる。

度量の大きさが改められないのならば、まず理解力のベースとなる、本人の知識を高められるような策を施さねばならない。教育が重要である。知識が高められ視野が広がれば中長期的には度量の大きさも備わっていくだろうとも期待される。特に中小企業の場合、新入社員の入社当初を除くとなかなか教育も行き届かないのかな?というのが自分の経験を通じて感じるところであるが、場当たり的・断片的なOJTのみで計画性がないとなかなか能力の向上も期待できないし、ただ個人の能力が優れていて成果が出たから論功行賞として昇進させましたというだけでマネジメントについての知識がなければ、人の上に立つものとしては適性に欠けると言わざるを得ないような業務の偏りも起こるだろう。

マネジメントシステムでは教育を重視しているが、単に「環境」なり「個人情報保護」なりのような断片的なテーマにとどまらず、オールジャンルを統合したマネジメントシステムの中で、「本業」に関わる知識についても教育プログラムを組み込んでいく必要があるだろう。そのなかで、必要な人間については幹部候補社員のためのカリキュラムを設定し実施していくという制度も確立するべきである。自発的に努力をした者のみがそれだけの地位を得るというのももっともではあるが、企業としてはそういった個人個人の志向に期待をするのではなく、一定のレベルをみずから作り上げられるように持っていかなければならないだろう。


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