2009年11月23日
当初の想定では、「この本を読みながら、並行してコラム執筆を展開していく」つもりだったのだが、簿記の受験勉強やら会社の業務が過多になっているのやらに忙殺されて執筆まで手が廻らず、すでに読み終わってしまいますた^^;。その点では、いささかコラム執筆に向けて、読んだ際感じた刺激が弱くなってしまっているきらいを感じる。加えて、この本そのものが、それなりに興味深かったものの、「企業とは何か」や「ビジョナリー・カンパニー」に比べると感銘が薄かったし、何よりも冗長すぎ-_-;というのがモチベーションを下げているところがある。とは言え、この本を読んでいて、ビジネス教育について思うところをある程度掘り下げられる機会を持てたというのは貴重な体験であったかもしれない。ともあれ、何とか最後の章まで紹介できるよう、励行したい^^;。なお、いまはこういった性質のビジネス書ではなく、中小企業診断士試験対策として、本年で科目合格の有効期限が切れた運営管理&経営情報システムのテキストを読んでいるところ(笑)。
PART2 マネジャーを育てる
第8章「企業のマネジャー教育」
PART1「MBAなんていらない」ではMBA課程を中心としたビジネススクール批判が延々と繰り広げられてきたが、PART2「マネジャーを育てる」ではあるべきマネジャー教育の姿を実現していこうという具体的な模索が中心となる。なかにはミンツバーグその人が携わっているIMPM(国際マネジメント実務修士課程)という課程の宣伝かよ?と思わされる気味なきにしもあらずだが^^;、扱われている内容にはそれなりに興味深いものがある。
まず、この章では企業が行なっているマネジャー育成の試みが紹介されている。ミンツバーグによれば、企業はマネジメント教育についてほとんど関与していないが、マネジャー教育においては主導的な役割を果たしているという(両者の相違は「マネジメント教育=アカデミックな理論」・「マネジャー育成=実務上のニーズ」とされているようだ)。
ミンツバーグは「マネジメントは教えられない」という立場にあり、実践のなかで身に付けていかねばならないとしているが、身に付けていくのを助ける手段として次の4つを挙げている。
1)OJT
2)コース
3)アクション・ラーニング
4)企業内大学
1)では、ジョブ・ローテーションによって有望な人材に経験を積ませること・メンタリングやコーチングによるサポートといったものが挙げられている。日本のOJTも紹介されている。2)では実践に近い形の研修が主として紹介されているようだ。3)は、1)と2)の中間と位置づけられている。ジャック・ウェルチがGEで行なったワークアウトも、同類のものとして扱われている。4)は特定の組織のための内部の研修機関を指している。いずれについてもある程度問題点が指摘されたりはしているが、実務から乖離していないぶん、好意的に紹介されているようだ。
ミンツバーグはこれらの長所を組み合わせた、統合的な取り組みが望ましいとする。言うのはたやすいが、なかなか出来ることではない。ミンツバーグその人が書いているように、「キャリアのそれぞれの段階で使いわける」というのがより現実的な解かもしれない。
この章で興味深い点は、行動の質を高めるため、内面的な省察の能力を高めるべきとしている点か。これまでの章を読みながら感じたように、知識はあくまで「ツール」であって、それをどう生かすのか、その立脚点たるべき「志」が備わっていなければ、学ぶ意義は大きく減じられる。あとで登場するミンツバーグその人が携わっているIMPMにおいても、マインドセットの変革が重んじられているようだ。この点には共感しながらも、前回も書いたように、個人的にはこういったものは教えられないと考えている。しかし、ミンツバーグにとっては、そういった個人個人の資質によってマネージャーの育成如何が左右されるようでは企業にとって望ましくないということのようである。確かに、その考え方は正しい。しかし、少なくともこの章において、その具体的な対案が出ているとは言いがたい。IMPMという課程における実践がその解に最も近いもののはずだが、とりあえずこの本で読んだだけでは、書かれ方が一面的で客観的な試練を経た内容なのか、引っかかるものを感じる。単に疑りぶかいだけなのかもしれないが^^;、このコラムを書くためにもう1度読み直してみることで、再考を加えてみたいものだと思っているところである。
PART2 マネジャーを育てる
第8章「企業のマネジャー教育」
PART1「MBAなんていらない」ではMBA課程を中心としたビジネススクール批判が延々と繰り広げられてきたが、PART2「マネジャーを育てる」ではあるべきマネジャー教育の姿を実現していこうという具体的な模索が中心となる。なかにはミンツバーグその人が携わっているIMPM(国際マネジメント実務修士課程)という課程の宣伝かよ?と思わされる気味なきにしもあらずだが^^;、扱われている内容にはそれなりに興味深いものがある。
まず、この章では企業が行なっているマネジャー育成の試みが紹介されている。ミンツバーグによれば、企業はマネジメント教育についてほとんど関与していないが、マネジャー教育においては主導的な役割を果たしているという(両者の相違は「マネジメント教育=アカデミックな理論」・「マネジャー育成=実務上のニーズ」とされているようだ)。
ミンツバーグは「マネジメントは教えられない」という立場にあり、実践のなかで身に付けていかねばならないとしているが、身に付けていくのを助ける手段として次の4つを挙げている。
1)OJT
2)コース
3)アクション・ラーニング
4)企業内大学
1)では、ジョブ・ローテーションによって有望な人材に経験を積ませること・メンタリングやコーチングによるサポートといったものが挙げられている。日本のOJTも紹介されている。2)では実践に近い形の研修が主として紹介されているようだ。3)は、1)と2)の中間と位置づけられている。ジャック・ウェルチがGEで行なったワークアウトも、同類のものとして扱われている。4)は特定の組織のための内部の研修機関を指している。いずれについてもある程度問題点が指摘されたりはしているが、実務から乖離していないぶん、好意的に紹介されているようだ。
ミンツバーグはこれらの長所を組み合わせた、統合的な取り組みが望ましいとする。言うのはたやすいが、なかなか出来ることではない。ミンツバーグその人が書いているように、「キャリアのそれぞれの段階で使いわける」というのがより現実的な解かもしれない。
この章で興味深い点は、行動の質を高めるため、内面的な省察の能力を高めるべきとしている点か。これまでの章を読みながら感じたように、知識はあくまで「ツール」であって、それをどう生かすのか、その立脚点たるべき「志」が備わっていなければ、学ぶ意義は大きく減じられる。あとで登場するミンツバーグその人が携わっているIMPMにおいても、マインドセットの変革が重んじられているようだ。この点には共感しながらも、前回も書いたように、個人的にはこういったものは教えられないと考えている。しかし、ミンツバーグにとっては、そういった個人個人の資質によってマネージャーの育成如何が左右されるようでは企業にとって望ましくないということのようである。確かに、その考え方は正しい。しかし、少なくともこの章において、その具体的な対案が出ているとは言いがたい。IMPMという課程における実践がその解に最も近いもののはずだが、とりあえずこの本で読んだだけでは、書かれ方が一面的で客観的な試練を経た内容なのか、引っかかるものを感じる。単に疑りぶかいだけなのかもしれないが^^;、このコラムを書くためにもう1度読み直してみることで、再考を加えてみたいものだと思っているところである。
2009年11月16日
バーニーのほか、ミンツバーグの講読も進めていくはずが、忙しすぎて滞り気味だ-_-;。いちおう、本日簿記3級の試験が終わったが、すぐ簿記2級の講座が始まる予定。
7.1「コスト・リーダーシップの定義」
今回より第7章に入る。第7章と第8章は、それぞれ「コスト・リーダーシップ」と「製品差別化」を扱っており、対になるものと考えられているようだ。この両者は戦略論分野において最も重要であり、一般的事業戦略と呼ばれている。
まず、この節においてはコスト・リーダーシップの定義として、概論的なものが書かれている。正直のところあまり新味のあることは書かれていない^^;ように見受けられたが、注目すべきはコスト・リーダーシップが単に「価格の安さ」のみを売りとしたものであるべきではないのを明確にしている点ではないか。「安かろう悪かろう」では、持続的な競争優位たり得ない。ユーザーが質の悪さを敬遠して、多少値が張っても安心できるものを選択する可能性が高くなるからである。「コストパフォーマンスが高い」ことをアピールするため、どういう面を削りどういう面を残すか、その着眼点の選択によってこそ、その強みは持続できる。要はポジショニングを明確化する必要があるということである。
まず、「コスト優位の源泉」として、規模の経済と学習曲線に関する概論が書かれている。このあたりはおおむね一般に言われている特徴が挙げられているという程度で、特に新味はない。その他の要素として、「生産要素への差別的で低コストのアクセス」「規模と無関係の技術上の優位」「経営政策の選択」が挙げられている。
「生産要素への差別的で低コストのアクセス」とは、労働力でも資本でも原材料でも、生産要素を他社に抜きん出て低コストで調達できるということである。ただし、これは生産規模と関わってくる場合があり、規模の経済と無関係でないこともある。「規模と無関係の技術上の優位」は、低コストで生産することの出来る、他社の持っていない技術があるということである。これは単に通常言われるような生産上の道具の問題(「技術的ハードウェア」と呼ばれている)に留まらず、組織文化なども含まれる(「技術的ソフトウェア」と呼ばれる)。「経営政策の選択」は、先に言及したようなポジショニングの話と関連性が深い。この場合、提供するものを「シンプルで標準的な」機能に絞り、それを専一に磨くことで実現しようとすることが多いようだ。
その変形としてターゲットコスト設計システムというものも挙げられている。これは、まず潜在的顧客に最もアピールできる価格を決定し、それに合わせてかかるコストを設定し、それを実現できる体制作りをしていくということだ。この本ではNECやシャープ、トヨタや日産などいくつかの日本企業が代表例として挙げられているが、セオドア・レヴィットの「マーケティング・マイオピア」で引用されていたヘンリー・フォードの言葉を見ると、フォードでは早くから採用されていたようである。
7.1「コスト・リーダーシップの定義」
今回より第7章に入る。第7章と第8章は、それぞれ「コスト・リーダーシップ」と「製品差別化」を扱っており、対になるものと考えられているようだ。この両者は戦略論分野において最も重要であり、一般的事業戦略と呼ばれている。
まず、この節においてはコスト・リーダーシップの定義として、概論的なものが書かれている。正直のところあまり新味のあることは書かれていない^^;ように見受けられたが、注目すべきはコスト・リーダーシップが単に「価格の安さ」のみを売りとしたものであるべきではないのを明確にしている点ではないか。「安かろう悪かろう」では、持続的な競争優位たり得ない。ユーザーが質の悪さを敬遠して、多少値が張っても安心できるものを選択する可能性が高くなるからである。「コストパフォーマンスが高い」ことをアピールするため、どういう面を削りどういう面を残すか、その着眼点の選択によってこそ、その強みは持続できる。要はポジショニングを明確化する必要があるということである。
まず、「コスト優位の源泉」として、規模の経済と学習曲線に関する概論が書かれている。このあたりはおおむね一般に言われている特徴が挙げられているという程度で、特に新味はない。その他の要素として、「生産要素への差別的で低コストのアクセス」「規模と無関係の技術上の優位」「経営政策の選択」が挙げられている。
「生産要素への差別的で低コストのアクセス」とは、労働力でも資本でも原材料でも、生産要素を他社に抜きん出て低コストで調達できるということである。ただし、これは生産規模と関わってくる場合があり、規模の経済と無関係でないこともある。「規模と無関係の技術上の優位」は、低コストで生産することの出来る、他社の持っていない技術があるということである。これは単に通常言われるような生産上の道具の問題(「技術的ハードウェア」と呼ばれている)に留まらず、組織文化なども含まれる(「技術的ソフトウェア」と呼ばれる)。「経営政策の選択」は、先に言及したようなポジショニングの話と関連性が深い。この場合、提供するものを「シンプルで標準的な」機能に絞り、それを専一に磨くことで実現しようとすることが多いようだ。
その変形としてターゲットコスト設計システムというものも挙げられている。これは、まず潜在的顧客に最もアピールできる価格を決定し、それに合わせてかかるコストを設定し、それを実現できる体制作りをしていくということだ。この本ではNECやシャープ、トヨタや日産などいくつかの日本企業が代表例として挙げられているが、セオドア・レヴィットの「マーケティング・マイオピア」で引用されていたヘンリー・フォードの言葉を見ると、フォードでは早くから採用されていたようである。
2009年11月03日
第7章「新しいMBA?」
第6章まで、「これでもか」と言わんばかりにもMBAを軸に置いたビジネススクール批判を繰り広げてきたこの本であるが、この章あたりから幾分風向きが変わってくる。正直なところ、前章まではある程度肯ける部分がありながらも、読んでいて不毛な感が付きまとうが、妥当な対案を示し、あるべきビジネス教育の姿を模索しようというミンツバーグの思いがあるべき姿で表現されてくるようになってくる。論述のくどさはミンツバーグの特質のようなものらしく、別の本(「戦略計画―創造的破壊の時代 The Rise and Fall of Strategic Planning」)の翻訳でもいまどきにしては珍しく部分的な省略・抄訳が行なわれているというぐらいだが、はっきり言って、6章まではいまの4〜5分の1程度の分量で充分な内容だな^^;。
この第7章では、前章までに挙げられているようなビジネススクールの弱点を受けて、MBA課程を置いたビジネススクール側が行なってきた改革を紹介し、それをまたミンツバーグが批判するというのが前半。このあたりは特に新味がない。インターネットや電子メディアなどのテクノロジーを活用したものと教育における国際化を紹介した部分が若干面白いぐらいか。そういえば、自分の通っていたビジネススクールは、出席講義の振替などをウェブから出来たけれど、意外にローテクだったよなぁ…とか思ったものだった^^;。また、日本のビジネス教育がかなり評価されており、第2次世界大戦後の日本の目覚ましい発展の原因をここに求めている。自分が以前読んで興味深かった「松下電器の経営改革」(有斐閣)を手がけた一橋大学の伊丹敬之教授の名前も見えるが、この人がミンツバーグに宛てた手紙には「一橋大学のMBAプログラムは、それだけでマネージャーを養成できる課程ではないということを学生たちに伝えている」と書かれていたというエピソードが紹介されている。
後半に入ってくると、イギリスで起こっている「実務と教育を融合させようとする」興味深い試みの紹介に多く筆が割かれている。実際にマネージャーとなっている人物が、実務でぶつかった課題をテーマとしながら学んでいこうとするものだ。このあたりから、ミンツバーグの言いたいことが分かってくるような感がある。要は「実際に使うわけではない知識は要らないし、かえって有害な場合もある」ということだろう。このあたりは、MBAでなくても資格の勉強などでしばしば言われるテーマであり、自分にとっても身近な課題である。個人的には、このあたりの課題は、乱暴に言ってしまうと「教えることは出来ない」と思っている。前回でも書いたように、「本人が学ぶことに何を求めているのか? ツールに過ぎないのか、価値観を変革することか」という心がけに尽きるのだと思う。もちろん、こう言ってしまっては身もふたもないが^^;。強いて言えば、「志を育てる」教育がまず最初に必要ではないか?というぐらいのことか。
第6章まで、「これでもか」と言わんばかりにもMBAを軸に置いたビジネススクール批判を繰り広げてきたこの本であるが、この章あたりから幾分風向きが変わってくる。正直なところ、前章まではある程度肯ける部分がありながらも、読んでいて不毛な感が付きまとうが、妥当な対案を示し、あるべきビジネス教育の姿を模索しようというミンツバーグの思いがあるべき姿で表現されてくるようになってくる。論述のくどさはミンツバーグの特質のようなものらしく、別の本(「戦略計画―創造的破壊の時代 The Rise and Fall of Strategic Planning」)の翻訳でもいまどきにしては珍しく部分的な省略・抄訳が行なわれているというぐらいだが、はっきり言って、6章まではいまの4〜5分の1程度の分量で充分な内容だな^^;。
この第7章では、前章までに挙げられているようなビジネススクールの弱点を受けて、MBA課程を置いたビジネススクール側が行なってきた改革を紹介し、それをまたミンツバーグが批判するというのが前半。このあたりは特に新味がない。インターネットや電子メディアなどのテクノロジーを活用したものと教育における国際化を紹介した部分が若干面白いぐらいか。そういえば、自分の通っていたビジネススクールは、出席講義の振替などをウェブから出来たけれど、意外にローテクだったよなぁ…とか思ったものだった^^;。また、日本のビジネス教育がかなり評価されており、第2次世界大戦後の日本の目覚ましい発展の原因をここに求めている。自分が以前読んで興味深かった「松下電器の経営改革」(有斐閣)を手がけた一橋大学の伊丹敬之教授の名前も見えるが、この人がミンツバーグに宛てた手紙には「一橋大学のMBAプログラムは、それだけでマネージャーを養成できる課程ではないということを学生たちに伝えている」と書かれていたというエピソードが紹介されている。
後半に入ってくると、イギリスで起こっている「実務と教育を融合させようとする」興味深い試みの紹介に多く筆が割かれている。実際にマネージャーとなっている人物が、実務でぶつかった課題をテーマとしながら学んでいこうとするものだ。このあたりから、ミンツバーグの言いたいことが分かってくるような感がある。要は「実際に使うわけではない知識は要らないし、かえって有害な場合もある」ということだろう。このあたりは、MBAでなくても資格の勉強などでしばしば言われるテーマであり、自分にとっても身近な課題である。個人的には、このあたりの課題は、乱暴に言ってしまうと「教えることは出来ない」と思っている。前回でも書いたように、「本人が学ぶことに何を求めているのか? ツールに過ぎないのか、価値観を変革することか」という心がけに尽きるのだと思う。もちろん、こう言ってしまっては身もふたもないが^^;。強いて言えば、「志を育てる」教育がまず最初に必要ではないか?というぐらいのことか。
2009年11月01日
6.4「垂直統合戦略のための組織」
この節は「垂直統合戦略のための組織」と題されているが、実質的には必ずしも垂直統合戦略の場合限定で書かれているわけではないように見受けられる。ともあれ、第5章で言及された企業組織における重要な3要素、「組織構造」「マネジメント・コントロール」「報酬体系」と関連づけて論じられている。
まず組織構造。ここではU型組織、一般には職能別組織と言われているものが扱われている(「U」とはUnitary=中央集権型の頭文字を取ったもの)。「CEOに負荷がかかる」「意思決定においても情報収集が不完全になったり各マネージャーの協力も限定されたものになったりしがちである」「セクショナリズムが発生する」といった、この組織形態でよく言われる弱点が言及されている。垂直統合で企業内に統合された機能については必要な協力関係がとられる必要があるといった、ごく普通のことが書かれている。
ついでマネジメント・コントロール。ここで重要視されているのは予算プロセスと経営会議である。予算プロセスについては、アカウンティング的な指標に基づいて判断しようとするとマネージャーたちが短期的な業績に拘り長期的な視野に欠ける結果となるため、ファイナンス的な経済価値によって判断すべきだとされる。また業績評価に定性的な内容も含めるべきだという。経営会議については、意思決定に関する情報収集や企業活動のモニタリングといった面が重視されているようだ。
報酬制度。労働市場が完全競争の場合と不完全競争の場合に分けて論じられているが、実質は不完全競争であるとされており、こちらが主たる内容となっている。まず、スキルや能力について。ある従業者に、ある特定の企業でしか価値を持たない能力やスキルを持たせたい場合は、金銭的負担を強いられることとなる。職務ポジションについて。魅力のない仕事に就かせるには高い報酬を必要とする。非金銭的な報酬を備えることによって、すべての報酬を金銭で賄おうとするよりも、結果として低コストで済む場合もある。それは「雇用保証」「昇進」「その企業に属することがステイタスの証明となるような名声」「フリンジ・ベネフィット」といったものである。また、成果型報酬というのもある。しかし、個人的には、このなかに「仕事そのもののやりがい」「自己実現」といった要素が希薄なのに疑問を感じた。これは第1章でミッション・ステータスについて言及しているバーニーであるからこそ、より大きく扱ってほしい要素であるのだが。
ともあれ、最初の組織構造に関する部分でいくらか言及されているのを除くと、全体的な記述としては垂直統合戦略との関連性はいささか薄いように感じられた^^;。
この節は「垂直統合戦略のための組織」と題されているが、実質的には必ずしも垂直統合戦略の場合限定で書かれているわけではないように見受けられる。ともあれ、第5章で言及された企業組織における重要な3要素、「組織構造」「マネジメント・コントロール」「報酬体系」と関連づけて論じられている。
まず組織構造。ここではU型組織、一般には職能別組織と言われているものが扱われている(「U」とはUnitary=中央集権型の頭文字を取ったもの)。「CEOに負荷がかかる」「意思決定においても情報収集が不完全になったり各マネージャーの協力も限定されたものになったりしがちである」「セクショナリズムが発生する」といった、この組織形態でよく言われる弱点が言及されている。垂直統合で企業内に統合された機能については必要な協力関係がとられる必要があるといった、ごく普通のことが書かれている。
ついでマネジメント・コントロール。ここで重要視されているのは予算プロセスと経営会議である。予算プロセスについては、アカウンティング的な指標に基づいて判断しようとするとマネージャーたちが短期的な業績に拘り長期的な視野に欠ける結果となるため、ファイナンス的な経済価値によって判断すべきだとされる。また業績評価に定性的な内容も含めるべきだという。経営会議については、意思決定に関する情報収集や企業活動のモニタリングといった面が重視されているようだ。
報酬制度。労働市場が完全競争の場合と不完全競争の場合に分けて論じられているが、実質は不完全競争であるとされており、こちらが主たる内容となっている。まず、スキルや能力について。ある従業者に、ある特定の企業でしか価値を持たない能力やスキルを持たせたい場合は、金銭的負担を強いられることとなる。職務ポジションについて。魅力のない仕事に就かせるには高い報酬を必要とする。非金銭的な報酬を備えることによって、すべての報酬を金銭で賄おうとするよりも、結果として低コストで済む場合もある。それは「雇用保証」「昇進」「その企業に属することがステイタスの証明となるような名声」「フリンジ・ベネフィット」といったものである。また、成果型報酬というのもある。しかし、個人的には、このなかに「仕事そのもののやりがい」「自己実現」といった要素が希薄なのに疑問を感じた。これは第1章でミッション・ステータスについて言及しているバーニーであるからこそ、より大きく扱ってほしい要素であるのだが。
ともあれ、最初の組織構造に関する部分でいくらか言及されているのを除くと、全体的な記述としては垂直統合戦略との関連性はいささか薄いように感じられた^^;。
2009年10月25日
6.3「垂直統合と持続的競争優位」
この節は、前の節で挙げられたようなそれぞれの統治メカニズムが、どう競争優位に結びついていくのかということについて書かれている。しかし、この節はとかく抽象度が高く、文意を取りづらい箇所が目立つ--;。あるいは翻訳のせいもあるのか?
統治メカニズムから競争優位を得るための3つの要素は以下のとおりであるという。
1)不確実で複雑な経済取引を理解する能力
2)異なる統治形態を知覚し実行する能力
3)機会主義的に行動する傾向
これらについて、VRIOフレームワークを用いて分析した結果、すべてにYesとなった場合、持続的競争優位の源泉たりえるだろうということだ。
1)は平たく言えば、「業界分析能力」である。これは従業員の知的能力を高めること、またそれを活かせる体制が整っていることを含む。こういった属性は得てして模倣困難であり、少なくとも一時的には競争優位につながるとされる。
2)は乱暴にまとめると、「統治能力に優れており、意思決定が早かったり的確に執行出来たりする」といったところか。これらも、企業の歴史的経緯や企業風土に起因したものであれば、容易には模倣できない。
3)は1)や2)と比べると、やや外的な要因といえる。「機会主義」というのは前にも触れたとおり、「足元を見られる」というか「付け入られる」というような意味を持つ用語だが、こういった性向を持つ相手と取引をするということは、そうでない相手と比べてコストが余計にかかるといえる。
この節は、前の節で挙げられたようなそれぞれの統治メカニズムが、どう競争優位に結びついていくのかということについて書かれている。しかし、この節はとかく抽象度が高く、文意を取りづらい箇所が目立つ--;。あるいは翻訳のせいもあるのか?
統治メカニズムから競争優位を得るための3つの要素は以下のとおりであるという。
1)不確実で複雑な経済取引を理解する能力
2)異なる統治形態を知覚し実行する能力
3)機会主義的に行動する傾向
これらについて、VRIOフレームワークを用いて分析した結果、すべてにYesとなった場合、持続的競争優位の源泉たりえるだろうということだ。
1)は平たく言えば、「業界分析能力」である。これは従業員の知的能力を高めること、またそれを活かせる体制が整っていることを含む。こういった属性は得てして模倣困難であり、少なくとも一時的には競争優位につながるとされる。
2)は乱暴にまとめると、「統治能力に優れており、意思決定が早かったり的確に執行出来たりする」といったところか。これらも、企業の歴史的経緯や企業風土に起因したものであれば、容易には模倣できない。
3)は1)や2)と比べると、やや外的な要因といえる。「機会主義」というのは前にも触れたとおり、「足元を見られる」というか「付け入られる」というような意味を持つ用語だが、こういった性向を持つ相手と取引をするということは、そうでない相手と比べてコストが余計にかかるといえる。
2009年10月24日
このところ、簿記の勉強と会社の業務を両立させるのに手一杯で、blogまで手が廻らない--;。
ミンツバーグの本は現在第9章を読んでいる途中で、コラム連載が追いついていないという意識があるので、無理をして執筆の時間を作ったが、本日も疲れているせいか、どうも書いていて散漫になっているような気がする^^;。もしかしたら、あとで書き直さなければならない?(後記:とりあえず若干書き足しますた)
第3〜6章「間違った結果」
第3章から第6章までは、「間違った人間」に「間違った方法」で教育を施した結果、社会にどういう悪影響を及ぼしたか、それを4つの観点から論述している。個人的にはこの部分は一括で扱ってしまっていいような気がした。ヘンリー・ミンツバーグといえば、海外では「ピーター・ドラッカーに比肩する賢人」とまでもてはやされているようだが、そんな「大人(たいじん)」がなにもそんな重箱の隅をつつくような論点まで逐一展開しなくても…などと、読んでいて正直感じたものだ^^;。ここではごくかいつまんでということでいいと思う。
ミンツバーグの言う、MBA課程のもたらす「間違った結果」とは、おおむね以下の4点。
1)学生の誤ったエリート意識
2)実務を知らない、あるいは実務を軽んじた人間による、実態を乖離したマネジメント活動
3)2)に近いが、意思決定における官僚的性向
4)経済至上主義でCSRに背を向けた、非倫理性
ご丁寧にも、ミンツバーグはハーバード・ビジネススクールを優秀な成績で卒業しCEOになった19人のその後を追跡調査し、成功したといえるのはせいぜい4、5人程度でしかないのを証明してみせる。また、ヒューレット・パッカードのカーリー・フィオリーナ、アップル・コンピュータのジョン・スカリーなどが槍玉に挙げられている。個人的にはスカリーって結構好きだったんだけどなぁ^^;。また、エンロンがMBA取得者を積極的に採用していたことも例示している。
この長大なMBA批判論を読んでいて顕著に感じられたのは、「マネジメントをつかさどる者は実務においても優れた資質を持っている必要がある」というこれまでの章でも言及されていた命題(これは「意思決定における判断材料を的確に得るため」という面のほか、「リーダーシップにおいて説得力を増すため」という面もあるように見受けられる)のほかに、「倫理観とかスピリッツといったものはビジネススクールでは教えていない」ということか。だから、与えられるツールは同じであっても、あとでそれをどう活かしていくかは所詮本人の資質任せになっているように思える。
前者について。自分の通っていたビジネススクールのカリキュラムと中小企業診断士の試験科目を比較して気づくのは、ビジネススクールでは「運営管理」という観点が欠落しているということである。もちろん、このあたりは業種・業態によって求められる知識が異なるとも考え得るし、一概にビジネススクールを責められないとも言える。しかし、その点を看過してビジネススクールで得られる知識を過大評価してしまうのは問題であるし、ビジネススクールとしてもその問題点を意識していなければならないというのは言えるだろう。
後者について。これは前回にも言及した、ビジネススクールで出会ったクラスメイトの多くを見ても、それなりに分かるような気がする。個人個人としてのことは知る由もないが、講座が終わってからのクラスの、「学び」という本来の趣旨からみる凝集性という点ではお世辞にも高いものとは言えなかった。その理由を推察するに、彼らは単に「仕事で使うツール」を探しに来たに過ぎないのか、それとも人生への認識を変えるような体験を求めに来たのか。その点に尽きるのではないか?などと思ったものだ。自分の感じたところで言うと、大半は前者だったのだろうと思っている。だから、「ツール」さえ得てしまえば目的は果たしてしまったと決めつけてしまう。その結果、付き合いが自然消滅してしまうか、「ただの遊び友達」と化してしまうか、どちらかになってしまっているという傾向が顕著なのだろう。傲慢な言い方を許してもらうなら、ビジネススクールは彼らに本来の趣旨での精神的な変化をもたらすことが出来なかった、ということだ。
ミンツバーグのマネジメント論には意外と日本の企業風土には受け入れられやすいような要素が目立つし、ミンツバーグ自身、日本の企業のビジネス教育について好意的に扱っている記述が散見される。もっとも、MBAというものの浸透と並行して日本の企業風土も変わってきているという印象がある。例えば「株主価値」への意識などもそうだ。ピーター・ドラッカーは「企業とは何か」のなかで、「企業が社会的組織であるのに対して、株主のほうは一時的・派生的な存在」だとしているが、このくだりを読んでいて、「株主様」という言葉に象徴されるような近年の風潮とは整合しない?という不自然な印象を受けたものだ。この「MBAが会社を滅ぼす」を併せて読めば、MBA課程が「ツール」重視になっていて、ドラッカー的な意味ではむしろ逆行になっているのだというミンツバーグの主張が分かるような気がする。例えて言うなら、ミンツバーグの論理は、松下幸之助が「経営の神様」として尊重されるような「古き良き」日本の企業風土への回帰を趣旨としているようなところがあると思う。
ミンツバーグの本は現在第9章を読んでいる途中で、コラム連載が追いついていないという意識があるので、無理をして執筆の時間を作ったが、本日も疲れているせいか、どうも書いていて散漫になっているような気がする^^;。もしかしたら、あとで書き直さなければならない?(後記:とりあえず若干書き足しますた)
第3〜6章「間違った結果」
第3章から第6章までは、「間違った人間」に「間違った方法」で教育を施した結果、社会にどういう悪影響を及ぼしたか、それを4つの観点から論述している。個人的にはこの部分は一括で扱ってしまっていいような気がした。ヘンリー・ミンツバーグといえば、海外では「ピーター・ドラッカーに比肩する賢人」とまでもてはやされているようだが、そんな「大人(たいじん)」がなにもそんな重箱の隅をつつくような論点まで逐一展開しなくても…などと、読んでいて正直感じたものだ^^;。ここではごくかいつまんでということでいいと思う。
ミンツバーグの言う、MBA課程のもたらす「間違った結果」とは、おおむね以下の4点。
1)学生の誤ったエリート意識
2)実務を知らない、あるいは実務を軽んじた人間による、実態を乖離したマネジメント活動
3)2)に近いが、意思決定における官僚的性向
4)経済至上主義でCSRに背を向けた、非倫理性
ご丁寧にも、ミンツバーグはハーバード・ビジネススクールを優秀な成績で卒業しCEOになった19人のその後を追跡調査し、成功したといえるのはせいぜい4、5人程度でしかないのを証明してみせる。また、ヒューレット・パッカードのカーリー・フィオリーナ、アップル・コンピュータのジョン・スカリーなどが槍玉に挙げられている。個人的にはスカリーって結構好きだったんだけどなぁ^^;。また、エンロンがMBA取得者を積極的に採用していたことも例示している。
この長大なMBA批判論を読んでいて顕著に感じられたのは、「マネジメントをつかさどる者は実務においても優れた資質を持っている必要がある」というこれまでの章でも言及されていた命題(これは「意思決定における判断材料を的確に得るため」という面のほか、「リーダーシップにおいて説得力を増すため」という面もあるように見受けられる)のほかに、「倫理観とかスピリッツといったものはビジネススクールでは教えていない」ということか。だから、与えられるツールは同じであっても、あとでそれをどう活かしていくかは所詮本人の資質任せになっているように思える。
前者について。自分の通っていたビジネススクールのカリキュラムと中小企業診断士の試験科目を比較して気づくのは、ビジネススクールでは「運営管理」という観点が欠落しているということである。もちろん、このあたりは業種・業態によって求められる知識が異なるとも考え得るし、一概にビジネススクールを責められないとも言える。しかし、その点を看過してビジネススクールで得られる知識を過大評価してしまうのは問題であるし、ビジネススクールとしてもその問題点を意識していなければならないというのは言えるだろう。
後者について。これは前回にも言及した、ビジネススクールで出会ったクラスメイトの多くを見ても、それなりに分かるような気がする。個人個人としてのことは知る由もないが、講座が終わってからのクラスの、「学び」という本来の趣旨からみる凝集性という点ではお世辞にも高いものとは言えなかった。その理由を推察するに、彼らは単に「仕事で使うツール」を探しに来たに過ぎないのか、それとも人生への認識を変えるような体験を求めに来たのか。その点に尽きるのではないか?などと思ったものだ。自分の感じたところで言うと、大半は前者だったのだろうと思っている。だから、「ツール」さえ得てしまえば目的は果たしてしまったと決めつけてしまう。その結果、付き合いが自然消滅してしまうか、「ただの遊び友達」と化してしまうか、どちらかになってしまっているという傾向が顕著なのだろう。傲慢な言い方を許してもらうなら、ビジネススクールは彼らに本来の趣旨での精神的な変化をもたらすことが出来なかった、ということだ。
ミンツバーグのマネジメント論には意外と日本の企業風土には受け入れられやすいような要素が目立つし、ミンツバーグ自身、日本の企業のビジネス教育について好意的に扱っている記述が散見される。もっとも、MBAというものの浸透と並行して日本の企業風土も変わってきているという印象がある。例えば「株主価値」への意識などもそうだ。ピーター・ドラッカーは「企業とは何か」のなかで、「企業が社会的組織であるのに対して、株主のほうは一時的・派生的な存在」だとしているが、このくだりを読んでいて、「株主様」という言葉に象徴されるような近年の風潮とは整合しない?という不自然な印象を受けたものだ。この「MBAが会社を滅ぼす」を併せて読めば、MBA課程が「ツール」重視になっていて、ドラッカー的な意味ではむしろ逆行になっているのだというミンツバーグの主張が分かるような気がする。例えて言うなら、ミンツバーグの論理は、松下幸之助が「経営の神様」として尊重されるような「古き良き」日本の企業風土への回帰を趣旨としているようなところがあると思う。
2009年10月12日
6.2「垂直統合の経済価値」
この節は「経済価値」という言葉を含んでいるが、基本的には「垂直統合をするかしないか」の判断基準について書かれている。
ある経営資源を調達する場合、取引の必要が生じる。外部から調達する場合を市場による統治といい、内部から調達する場合を階層組織による統治という。この階層的統治を垂直統合という。この両者の中間に属する場合はそのまま中間的統治だ。
取引費用経済学によると、これらの統治メカニズムの目的は「機会主義の脅威とコストの双方をともに最小化する」ところにあるとされる。「機会主義」とは、平たく言えば「足元を見られる」ことである。企業内部から経営資源を調達する場合、不利な条件を押しつけられることなく随意に得ることが可能であろうが、一方でその管理するコストを賄わなければならない。外部からの取引による調達ではそのコストは不要だが、一方で調達に対するコントロールが思いのままにならないリスクがある。そういうことであろう。
垂直統合によらない場合の統治メカニズムは、次の4つ。
1)スポット市場契約
2)完備契約
3)逐次契約
4)関係性に基づく契約
1)は、不利な条件を押し付けられそうになった場合はすぐ他の業者にスイッチできるといったような、完全競争が成り立っている場合でしか成立しない。2)は契約によって機会主義を回避できるよう条件を整備しようとするものだが、想定外の事態が起こるというリスクは常に存在する。3)は期間を限定した契約によって2)における契約のリスクを軽減しようとするものだが、その契約更新の際、どちらかに有利不利が生じる可能性がある。4)は人間関係に基づく信頼性によって契約の弱点を補おうとするものだ。
垂直統合による場合の統治メカニズムは、次の3つ。
1)内部市場
2)官僚制
3)クラン
1)はもっとも緩やかなメカニズムであり、多角化した事業部間での取引のようなもの。2)は、取引を規則という形で明確に定めて運用しようとするもの。3)は、共有された価値観なり人間関係に頼る形で運用しようとするものである。
垂直統合をするべきか、せざるべきか。取引費用経済学における考え方についてはすでに言及したが、そのほかに、リソース・ベースト・ビューにおける考え方とリアルオプションにおける考え方が挙げられている。
リソース・ベースト・ビューにおいては、「持続的競争優位を持つプロセスについては垂直統合せよ」という点では取引費用経済学と一致するが、「調達する経営資源の源泉が自社とは異なる企業文化に基づいている場合、垂直統合を実施してしまうとその意義が失われてしまうため、あえて外部調達を選択する場合もある」という見方をする点が取引費用経済学とは異なるという。
また、柔軟性とコントロールのしやすさを二つながら実現する試みとして、リアルオプションという概念も紹介している。これはストックオプションのような考え方を技術や設備などに導入したものだという。意思決定の柔軟性を確保し、不確実性をカバーするためには垂直統合によらない選択の方が好まれるとされる。
これらの判断基準は両立できない部分を抱えているため、「垂直統合の意思決定について、統合された実践的理論は存在しない」というのが結論となっている。置かれている環境によって、選択される理論は異なっているとされている。
この節は「経済価値」という言葉を含んでいるが、基本的には「垂直統合をするかしないか」の判断基準について書かれている。
ある経営資源を調達する場合、取引の必要が生じる。外部から調達する場合を市場による統治といい、内部から調達する場合を階層組織による統治という。この階層的統治を垂直統合という。この両者の中間に属する場合はそのまま中間的統治だ。
取引費用経済学によると、これらの統治メカニズムの目的は「機会主義の脅威とコストの双方をともに最小化する」ところにあるとされる。「機会主義」とは、平たく言えば「足元を見られる」ことである。企業内部から経営資源を調達する場合、不利な条件を押しつけられることなく随意に得ることが可能であろうが、一方でその管理するコストを賄わなければならない。外部からの取引による調達ではそのコストは不要だが、一方で調達に対するコントロールが思いのままにならないリスクがある。そういうことであろう。
垂直統合によらない場合の統治メカニズムは、次の4つ。
1)スポット市場契約
2)完備契約
3)逐次契約
4)関係性に基づく契約
1)は、不利な条件を押し付けられそうになった場合はすぐ他の業者にスイッチできるといったような、完全競争が成り立っている場合でしか成立しない。2)は契約によって機会主義を回避できるよう条件を整備しようとするものだが、想定外の事態が起こるというリスクは常に存在する。3)は期間を限定した契約によって2)における契約のリスクを軽減しようとするものだが、その契約更新の際、どちらかに有利不利が生じる可能性がある。4)は人間関係に基づく信頼性によって契約の弱点を補おうとするものだ。
垂直統合による場合の統治メカニズムは、次の3つ。
1)内部市場
2)官僚制
3)クラン
1)はもっとも緩やかなメカニズムであり、多角化した事業部間での取引のようなもの。2)は、取引を規則という形で明確に定めて運用しようとするもの。3)は、共有された価値観なり人間関係に頼る形で運用しようとするものである。
垂直統合をするべきか、せざるべきか。取引費用経済学における考え方についてはすでに言及したが、そのほかに、リソース・ベースト・ビューにおける考え方とリアルオプションにおける考え方が挙げられている。
リソース・ベースト・ビューにおいては、「持続的競争優位を持つプロセスについては垂直統合せよ」という点では取引費用経済学と一致するが、「調達する経営資源の源泉が自社とは異なる企業文化に基づいている場合、垂直統合を実施してしまうとその意義が失われてしまうため、あえて外部調達を選択する場合もある」という見方をする点が取引費用経済学とは異なるという。
また、柔軟性とコントロールのしやすさを二つながら実現する試みとして、リアルオプションという概念も紹介している。これはストックオプションのような考え方を技術や設備などに導入したものだという。意思決定の柔軟性を確保し、不確実性をカバーするためには垂直統合によらない選択の方が好まれるとされる。
これらの判断基準は両立できない部分を抱えているため、「垂直統合の意思決定について、統合された実践的理論は存在しない」というのが結論となっている。置かれている環境によって、選択される理論は異なっているとされている。
2009年10月04日
第2部 事業戦略編
ようやくバーニー「企業戦略論」講読も上巻が終わり、中巻に入ることとなった。
これまででも、SWOT分析、ファイブフォース分析、バリューチェーンといった経営戦略においてはおなじみの分析ツールからリソース・ベースト・ビューにVRIOフレームワークというバーニーならではの経営資源に関する事項、企業パフォーマンスに関する捉え方など、概論としては充分な内容があったように感ずる。しかし、それでもまだこの本の3分の1でしかない。バーニーはこれについて、第6章の導入部において「『戦略の中身』が、第2部(訳書における中巻)、第3部(訳書における下巻)のテーマである」と述べている。これから講読していこうとする中巻では「事業戦略」が扱われている。バーニーは事業戦略について「企業が『特定の市場もしくは業界』で取ることが出来る具体的な行動」であると書いている。参考までに、この「事業戦略編」の各章の見出しを以下に列挙してみる。
第6章「垂直統合」
第7章「コスト・リーダーシップ」
第8章「製品差別化」
第9章「柔軟性」
第10章「暗黙的談合」
垂直統合、コスト・リーダーシップ、製品差別化についてはいまさら解説を要しないだろう。暗黙的談合は、すでに第3章〜第4章にかけて扱われた用語である。明示的に談合するわけではないが、「相手の様子を見ながら自分も行動する」といった感じに、消耗戦を避けながら結果的に協調した行動をとる…といった選択である。柔軟性というのは一見分かりづらいが、ザッと見た感じ、意思決定においてオプションを選択するうえの柔軟性を指すようだ。ファイナンス的要素が濃いという印象である。
6.1「垂直統合の定義」
まず、第6章において、垂直統合が扱われる。この節では、垂直統合がどういうものを指すか、その定義が簡単に書かれている。ごく短い導入部である。
ここでは、バリューチェーンと関連づけて記述されている。自社としてバリューチェーンのなかのどれだけのステージ(活動)に携わるか、その数が多いほど垂直統合度は高いということだ。また、より製品やサービスを享受する最終顧客に近い方のステージへ垂直統合度を高めることを前方垂直統合、遠い方のステージへ垂直統合度を高めることを後方垂直統合であるとも言っている。それぞれ、川下統合・川上統合とも言われるが、この本では出て来ていないようだ。
また、垂直統合度は、大まかなところを売上高付加価値率から推察することが出来るとしている。それは以下のような計算式である。
(付加価値−(純利益+法人税))÷(売上高−(純利益+法人税))
付加価値は以下の計算式とされている。チョット長いが^^;。
減価償却費+無形固定資産と繰延資産の償却額+固定間接費+支払利息+人件費および関連費用+年金および退職金積立費+法人税+税引後純利益+賃貸料
ようやくバーニー「企業戦略論」講読も上巻が終わり、中巻に入ることとなった。
これまででも、SWOT分析、ファイブフォース分析、バリューチェーンといった経営戦略においてはおなじみの分析ツールからリソース・ベースト・ビューにVRIOフレームワークというバーニーならではの経営資源に関する事項、企業パフォーマンスに関する捉え方など、概論としては充分な内容があったように感ずる。しかし、それでもまだこの本の3分の1でしかない。バーニーはこれについて、第6章の導入部において「『戦略の中身』が、第2部(訳書における中巻)、第3部(訳書における下巻)のテーマである」と述べている。これから講読していこうとする中巻では「事業戦略」が扱われている。バーニーは事業戦略について「企業が『特定の市場もしくは業界』で取ることが出来る具体的な行動」であると書いている。参考までに、この「事業戦略編」の各章の見出しを以下に列挙してみる。
第6章「垂直統合」
第7章「コスト・リーダーシップ」
第8章「製品差別化」
第9章「柔軟性」
第10章「暗黙的談合」
垂直統合、コスト・リーダーシップ、製品差別化についてはいまさら解説を要しないだろう。暗黙的談合は、すでに第3章〜第4章にかけて扱われた用語である。明示的に談合するわけではないが、「相手の様子を見ながら自分も行動する」といった感じに、消耗戦を避けながら結果的に協調した行動をとる…といった選択である。柔軟性というのは一見分かりづらいが、ザッと見た感じ、意思決定においてオプションを選択するうえの柔軟性を指すようだ。ファイナンス的要素が濃いという印象である。
6.1「垂直統合の定義」
まず、第6章において、垂直統合が扱われる。この節では、垂直統合がどういうものを指すか、その定義が簡単に書かれている。ごく短い導入部である。
ここでは、バリューチェーンと関連づけて記述されている。自社としてバリューチェーンのなかのどれだけのステージ(活動)に携わるか、その数が多いほど垂直統合度は高いということだ。また、より製品やサービスを享受する最終顧客に近い方のステージへ垂直統合度を高めることを前方垂直統合、遠い方のステージへ垂直統合度を高めることを後方垂直統合であるとも言っている。それぞれ、川下統合・川上統合とも言われるが、この本では出て来ていないようだ。
また、垂直統合度は、大まかなところを売上高付加価値率から推察することが出来るとしている。それは以下のような計算式である。
(付加価値−(純利益+法人税))÷(売上高−(純利益+法人税))
付加価値は以下の計算式とされている。チョット長いが^^;。
減価償却費+無形固定資産と繰延資産の償却額+固定間接費+支払利息+人件費および関連費用+年金および退職金積立費+法人税+税引後純利益+賃貸料
2009年10月01日
第2章「間違った方法」
この章は、まずケースメソッドを始めとしたビジネス教育の歴史から説き起こし、次いでそのビジネス教育がもたらした弊害、次いでケースメソッドの持つ欠点について論じられている。前半のビジネス教育の歴史に関する記述も確かに面白いが、どちらかというとやや薀蓄に偏ったような印象がある^^;。そのため、この場においては、これまでのビジネス教育の弊害およびケースメソッドの弱点についてを中心に言及していこう。
第1章において、ビジネス教育においては「マネジメント=分析」と誤解されていると論じられている。その弊害を推し進めた最大の「戦犯」として挙げられているのが、かのマイケル・ポーターである。ここでピーター・ドラッカーの言葉が、ミンツバーグにとっての重要な論拠として引用されている。ドラッカーは戦略について、ミッション・マーケット・製品・プロセスを一貫した「ビジネスの理論」によって統合したものだと言っているという。だから、ポーターのごとき「分析→戦略立案」という順序は考えられない。また、「戦略」という言葉が矮小化され、マネジメントによって統合されるべきマーケティングや財務、ITといったさまざまな機能がバラバラにされてしまった…ということのようだ。自分は会社で個人情報保護マネジメントシステムに携わっているが、会社では環境マネジメントシステムも存在しており、双方を一貫したコントロールが適格に出来ていないという現状を見ているだけに、言いたいことは分かるような気がする。また、ポーター的な考えにはソフト・スキル(コミュニケーションやリーダーシップの能力)が欠落していると言いたいようだ。このあたりは、やはり自分が講読しているバーニーの「企業戦略論」において、「ポーターに代表される戦略論は内部環境を軽視している」としているのと近い。
ミンツバーグは必ずしもケースメソッドを完全否定しているわけではない。過大評価されているのが問題なのだとしている。そこで挙げられている弱点のなかには「ケース自体が教えたいテーマを扱いやすくするため先入観を持って書かれる」「教師が講義の運営に都合のよい発言を取り上げたがる」といった運用上の問題もあるし、なかにはいささかうがった見方も含まれているようだが、自分が理解したところによる最大の問題は、ケースメソッドでは所詮上記のような「分析」についてしか取り扱えず、運用についてはほとんど身に付けられるものがないというところだろう。つまり、PDCAサイクルで言えば、ケースメソッドではせいぜいDoに取りかかり始めるところまでしか考えることが出来ない。CheckやActについて多少の想像は出来なくもないが、実際に対処するスキルを身につけるうえではあまりに薄弱だ。マネジメントのサイクルのうえではこちらの方がずっと重要であるのにも拘らず、である。この場面においてはソフト・スキルが求められるという点でも、上記の論理と整合性がある。然るに、ケースメソッドをこなせばマネジメントのスキルは向上すると誤解されている。所詮、机上の空論は机上の空論であり、論理を組み立てることは出来てもソフト・スキルの向上には資するところはないと認識しなければならないということだろう。
やや論点としてはずれるのかもしれないが、ここでも、自分が通った某ビジネススクールでの経験を思い出させる。このスクールでは120人程度と一緒のクラスでケースメソッドを行なったが、むろん講座のあいだは熱心に取り組んでいるものの、いったん講座が終わってしまったら持続的に課題を求めて取り組んでいこうとするクラスメイトがごくわずかに過ぎないという現象を目の当たりにしたものだ。これはモチベーションの問題ではないのかもしれない。「ケースメソッドさえやれば実践したようなもの」という誤解を植えつけられているため、「すでに勉強した目的は果たした」と思い込んでいるきらいがあるのではないか? ケースメソッドには幾分「応用編」的なイメージがあるものの、所詮シミュレーションに過ぎない。少なくとも、この限定条件を明確に意識させる必要はあるのではないか。
この章は、まずケースメソッドを始めとしたビジネス教育の歴史から説き起こし、次いでそのビジネス教育がもたらした弊害、次いでケースメソッドの持つ欠点について論じられている。前半のビジネス教育の歴史に関する記述も確かに面白いが、どちらかというとやや薀蓄に偏ったような印象がある^^;。そのため、この場においては、これまでのビジネス教育の弊害およびケースメソッドの弱点についてを中心に言及していこう。
第1章において、ビジネス教育においては「マネジメント=分析」と誤解されていると論じられている。その弊害を推し進めた最大の「戦犯」として挙げられているのが、かのマイケル・ポーターである。ここでピーター・ドラッカーの言葉が、ミンツバーグにとっての重要な論拠として引用されている。ドラッカーは戦略について、ミッション・マーケット・製品・プロセスを一貫した「ビジネスの理論」によって統合したものだと言っているという。だから、ポーターのごとき「分析→戦略立案」という順序は考えられない。また、「戦略」という言葉が矮小化され、マネジメントによって統合されるべきマーケティングや財務、ITといったさまざまな機能がバラバラにされてしまった…ということのようだ。自分は会社で個人情報保護マネジメントシステムに携わっているが、会社では環境マネジメントシステムも存在しており、双方を一貫したコントロールが適格に出来ていないという現状を見ているだけに、言いたいことは分かるような気がする。また、ポーター的な考えにはソフト・スキル(コミュニケーションやリーダーシップの能力)が欠落していると言いたいようだ。このあたりは、やはり自分が講読しているバーニーの「企業戦略論」において、「ポーターに代表される戦略論は内部環境を軽視している」としているのと近い。
ミンツバーグは必ずしもケースメソッドを完全否定しているわけではない。過大評価されているのが問題なのだとしている。そこで挙げられている弱点のなかには「ケース自体が教えたいテーマを扱いやすくするため先入観を持って書かれる」「教師が講義の運営に都合のよい発言を取り上げたがる」といった運用上の問題もあるし、なかにはいささかうがった見方も含まれているようだが、自分が理解したところによる最大の問題は、ケースメソッドでは所詮上記のような「分析」についてしか取り扱えず、運用についてはほとんど身に付けられるものがないというところだろう。つまり、PDCAサイクルで言えば、ケースメソッドではせいぜいDoに取りかかり始めるところまでしか考えることが出来ない。CheckやActについて多少の想像は出来なくもないが、実際に対処するスキルを身につけるうえではあまりに薄弱だ。マネジメントのサイクルのうえではこちらの方がずっと重要であるのにも拘らず、である。この場面においてはソフト・スキルが求められるという点でも、上記の論理と整合性がある。然るに、ケースメソッドをこなせばマネジメントのスキルは向上すると誤解されている。所詮、机上の空論は机上の空論であり、論理を組み立てることは出来てもソフト・スキルの向上には資するところはないと認識しなければならないということだろう。
やや論点としてはずれるのかもしれないが、ここでも、自分が通った某ビジネススクールでの経験を思い出させる。このスクールでは120人程度と一緒のクラスでケースメソッドを行なったが、むろん講座のあいだは熱心に取り組んでいるものの、いったん講座が終わってしまったら持続的に課題を求めて取り組んでいこうとするクラスメイトがごくわずかに過ぎないという現象を目の当たりにしたものだ。これはモチベーションの問題ではないのかもしれない。「ケースメソッドさえやれば実践したようなもの」という誤解を植えつけられているため、「すでに勉強した目的は果たした」と思い込んでいるきらいがあるのではないか? ケースメソッドには幾分「応用編」的なイメージがあるものの、所詮シミュレーションに過ぎない。少なくとも、この限定条件を明確に意識させる必要はあるのではないか。
2009年09月27日
このところドラッカーだミンツバーグだ、と何やら手広くなっているが^^;、ふたたびバーニーに戻ろう。しかし、従来の「ほぼバーニー1本槍」ではこのblogの展開として物足りないというのも事実である。他にも腹案があるところであるし、このblogをてこ入れし、より有益なアクションに結びつけてゆきたいと考えているところが大である。
5.5「VRIOフレームワークの限界」
リソース・ベースト・ビューを扱ったこの章の締めくくりは、VRIOフレームワークの持つ弱点について言及されている。その弱点とは以下の3つであるという。
1)持続的競争優位と環境の激変
2)経営の影響
3)分析の単位
1)について。持続可能なコンピタンスは絶対不変のものとはいえない。シュンペーター的イノベーションの前には無力となるということである。リソース・ベースト・ビューは業界の競争ルールが比較的安定している環境においては有効であるが、実際にはシュンペーター的イノベーションが数多くの業界において起こっている。ここで思い出されるのは、クリステンセンの提唱した「イノベーションのジレンマ」という言葉であろう。バーニーとクリステンセンとでは幾分「イノベーション」という語の使い方においてニュアンスが異なるようだが(バーニーがここで言っている「イノベーション」とは、クリステンセンの言う「破壊的イノベーション」に近いのだろう)、クリステンセンの言う「持続的イノベーション」はバーニーがここで「持続可能なコンピタンス」と書いているものと近いように感じられる。良くも悪くもこのコンピタンスには慣性の力が強く働くということだろう。
2)について。すべての経営資源において、持続可能なコンピタンスを見出せないという企業も少なくない。「得られるコストが小さくて済むような経営資源が競争優位を構築できる可能性は低い」という、「模倣可能性のパラドックス」が存在するからというのだ。簡単に見出せるような「強み」は模倣されやすく、模倣しづらい「強み」はそもそも見つけるのが困難だ…ということか。
3)について。個々の経営資源を分析するので、外部の人間が実施するのは困難である。組織の内部の人間であっても、そういった情報にくまなくアクセスするのは容易ではない。分析の単位が非常に細かいということだ。
強引に総括するなら、1)は外部環境を適格に予測することの困難さ、2)と3)は組織内部を正確に分析することの難しさ、ということに尽きるのではないか。特に、組織の内部の人間が客観的に自己の属する組織を分析するのは難しい。しかし、それを差し置いても、リソース・ベースト・ビューの発想は、組織のマネジメントの成否が競争優位を構築するうえで重要であるというのが持論である自分にとって、馴染みやすい考え方であるといえる。大原の中小企業診断士2次試験特訓講義からの伝聞になるが^^;、今年の「中小企業白書」では、「講演やセミナーなどを始め、社員に外部との交流を積極的にすすめる企業ほどイノベーションを果たす度合いが高い」というようなことが書かれているらしい。それは外部からの情報摂取に余念がないからというためもあるのだろうが、そうすることによって自社を客観的に分析することが出来るという側面もあるのではなかろうか。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という、孫子の名高い言葉が思い出される。
5.5「VRIOフレームワークの限界」
リソース・ベースト・ビューを扱ったこの章の締めくくりは、VRIOフレームワークの持つ弱点について言及されている。その弱点とは以下の3つであるという。
1)持続的競争優位と環境の激変
2)経営の影響
3)分析の単位
1)について。持続可能なコンピタンスは絶対不変のものとはいえない。シュンペーター的イノベーションの前には無力となるということである。リソース・ベースト・ビューは業界の競争ルールが比較的安定している環境においては有効であるが、実際にはシュンペーター的イノベーションが数多くの業界において起こっている。ここで思い出されるのは、クリステンセンの提唱した「イノベーションのジレンマ」という言葉であろう。バーニーとクリステンセンとでは幾分「イノベーション」という語の使い方においてニュアンスが異なるようだが(バーニーがここで言っている「イノベーション」とは、クリステンセンの言う「破壊的イノベーション」に近いのだろう)、クリステンセンの言う「持続的イノベーション」はバーニーがここで「持続可能なコンピタンス」と書いているものと近いように感じられる。良くも悪くもこのコンピタンスには慣性の力が強く働くということだろう。
2)について。すべての経営資源において、持続可能なコンピタンスを見出せないという企業も少なくない。「得られるコストが小さくて済むような経営資源が競争優位を構築できる可能性は低い」という、「模倣可能性のパラドックス」が存在するからというのだ。簡単に見出せるような「強み」は模倣されやすく、模倣しづらい「強み」はそもそも見つけるのが困難だ…ということか。
3)について。個々の経営資源を分析するので、外部の人間が実施するのは困難である。組織の内部の人間であっても、そういった情報にくまなくアクセスするのは容易ではない。分析の単位が非常に細かいということだ。
強引に総括するなら、1)は外部環境を適格に予測することの困難さ、2)と3)は組織内部を正確に分析することの難しさ、ということに尽きるのではないか。特に、組織の内部の人間が客観的に自己の属する組織を分析するのは難しい。しかし、それを差し置いても、リソース・ベースト・ビューの発想は、組織のマネジメントの成否が競争優位を構築するうえで重要であるというのが持論である自分にとって、馴染みやすい考え方であるといえる。大原の中小企業診断士2次試験特訓講義からの伝聞になるが^^;、今年の「中小企業白書」では、「講演やセミナーなどを始め、社員に外部との交流を積極的にすすめる企業ほどイノベーションを果たす度合いが高い」というようなことが書かれているらしい。それは外部からの情報摂取に余念がないからというためもあるのだろうが、そうすることによって自社を客観的に分析することが出来るという側面もあるのではなかろうか。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という、孫子の名高い言葉が思い出される。












